Chapter7

decrescendo plan-7


 開けっ放しの扉から、我が社で最も大きい応接室に足を踏み入れた。
 社員全員を集めた、とされる応接室はすでに満杯で、中央のテーブルをどかして椅子を外しても、まだまだ容積が足りないらしい。
 そんなあふれかえる人ごみの中、俺たちは部屋全体を四方から囲むように立っていた。
 後ろの壁に背中をつけている俺の位置からじゃ、春歌先輩の頭すらもよく見えない。
 その代わり、窓際で腕を組む轟先輩と、扉の傍らでぴょんぴょん跳ねているルーク先輩の姿は、かろうじて確認することが出来た。
 一体何が始まるのだろう、とどよめく人々を見渡して、春歌先輩がかすかに笑ったような気配がする。
 そのまますっと小さな唇で息を吸って、いつもと変わらない甲高い声で呼びかけた。

「皆の者、よくぞ集まってくれた」

 途端に、騒がしかった会場がシンと静まり返り、人々はぎょっとしたように肩を震わせる。

「な……なんだ今の声? どこから喋ってるんだ?」
「聞くところによれば、特例の招集ということもあり、インフルエンザを押してまで駆けつけてくれた社員もいたとのこと。その熱心な愛社精神には実に頭が下がる」

 彼女の姿が見えない俺にでさえ、にこやかに微笑む春歌先輩の様子が、手に取るようにわかるというのに。社員たちは虚空から響く異質な声に戦き、狂ったように辺りを見渡していた。

「突然のことに戸惑うであろうが、よく聞いて欲しい。これよりリバティホールディングスより派生した御社は、親会社の人員削減の命に従って問答無用で立ち退いて頂く。まぁ、今の時代なら紹介派遣やら契約社員やら、働く口はいくらでもあるさ。気を落とさずにもう一度就職活動に励んでくれたまえ」
「ふっ、ふざけるな! こんな脅迫まがいな真似……警察を呼ぶぞ!」
「呼んでみたければお好きにどうぞ。ただし、この会社から一歩でも外に出れば、きみたちはここであったことも、この会社の末路もすべて綺麗に忘れてしまう予定だから、それは出来ないだろうけどね」

 くすくすと柔らかに微笑む声、あれは明らかに轟先輩の声だ。
 しかし、人々は共犯者がいたことにようやく気がついたのか、いっそうパニックに陥ってしまった。
 人々の身体が左右に激しく動き回るせいで、俺としては状況の把握が難しくなって困る。
 と、そんな脳天気なことを考えていた頃。

「あー、携帯で連絡しようとしたイケナイお嬢さんみーっけ!」
「おい、ルーク……」

 轟先輩の制止もむなしく、問答無用に引かれたトリガーが、パァンと最初の音を炸裂させた。
 わずかではあるが赤い色彩が弾けたのを見て、人々の悲鳴が一段と甲高くなる。

「無駄な足掻きはよせって。つまんねぇだろ? それよりもさぁ、おまえらに今からせっかく逃げ出すチャンスあげよーとしてんだから、ガタガタ騒ぐなよ。今から一言でも喋った奴は速攻でドカンな?」

 狂気の沙汰とも言える笑顔で、ルーク先輩はやすやすと銃を掲げた。

「たとえ会社と職を捨てたとしても、命だけは欲しいってぇ正直者は、俺が5秒数え終わる前にこの会社から逃げ出せ。それでも居残るっていう正真正銘のカス野郎は、お望みの通りそのまま残ればいい。ただし、その先自分がどうなるかは……わかってるよな?」
「……! む、無理だ! こんな人数、5秒以内に脱出なんて……っ!」
「ガタガタ文句言いやがって、うっせぇなぁ。迷ってる暇があったら他人を押しのけてでも出てきゃいいだろ。ほら、いくぞ、……ごー、よーん」
「う、うわああっ!」
「さーん、にーい」

 冷酷なカウントダウンが終りを告げた時、応接室には世界が止まったような、暗黒の宣告が響き渡った。

「いーち……――ほんじゃさよなら、みなさん」
「!?」

 一時ばかりの休息を挟んで、次いで襲ったのは突然の射撃音。

「! ぎゃあああ!」
「うわあああッ!」
「あはははははあっ! さぁ、楽しい楽しい祭りの時間だっ!」

 いっそ人懐こさすら感じられる、ルーク先輩の笑顔が合図を出せば、そのあとはもう、法律だとか倫理観だとか、そういったものをまるごと無視した、無茶苦茶な戯曲の幕開けだった。
 前の者を押しのけて出ていこうとする者、パンプスを踏まれて転んだ女性、それを次々と踏みつけてゆく人々。窓の方に視線を流せば、5階から道路へ飛び降りようとする者や、ためらっている者を突き落としてまで、外へ身を投げる者もいる。
 部屋の中はもちろん予想通りの大惨事で、負傷して呻く人々はもちろんのこと、導入したばかりの巨大なモニターや、時刻を止めた時計まで何もかもがぐしゃぐしゃだ。

「……相変わらず、手加減というものを覚えないんだなルーク。見なよ、松田くんが怖がってる」
「おー、悪い悪い。でもま、せーぜー当てないように気をつけるからさ」
「どうだか」
「フーッ、そんで? 残ったのはこんなもんか?」

 一通り悲鳴が落ち着き始めたころ、ふたりはくるりと部屋の内側を振り返った。
 周囲はほの暗い血の香りと、弱々しい呻き声で満ちていた。
 前の部署にいた人たちの顔がぽつぽつと見つかってドキリとしたが、今の自分の姿が見えていないのなら、今更心を乱す必要もないのだろう。
 細く長い溜め息を吐きだしたところで、部屋の隅で銃を担いでいた春歌先輩が、かつかつとパンプスのヒールを運び始めた。

「撃たれても息があるのを合わせれば、まぁなんとか部署として機能する数にはなるかもしれないじゃん。良かったねー。……でもま、結局のところ全部いらないもんになるんだけどさ」

 嘲るような声とともに立ち上がり、春歌先輩はホワイトボードの下で蹲っていた人物に、ジャキンと銃口を突きつけた。
 ひぃっとすくみ上がる中年の男を見下し、春歌先輩は唇の端をゆっくりと歪める。

「で? 副社長さん。あんたこれからどうすんの?」
「ふっ、ふざけるな。誰が何と言おうとこれは私の会社だ。私の……っ!」
「ほぅ、ご立派な覚悟だね。同じ人間としてはにわかに理解しがたい発言だよ。……それじゃ、松田くん」

 ……この時俺は、何故唐突に自分の名前を呼ばれたのか、咄嗟に理解が出来なかった。
 振り返った視線に手招きをされて、呆けたままよろよろと足を運んでいると、春歌先輩が歌うような一言を放つ。

「こいつはきみの獲物だ」
「……っ!?」

 がしり、と死神に足首を掴まれたかのように、俺はその場に縫い止められた。

「動かない標的なら、いくらド素人のきみでも仕留められるでしょ?」

 優しげに細められた眼差しを見た瞬間、吐き気にも似た嫌悪感がこみ上げてきた。
 ……これは、“覚悟”の意味を勘違いしていた俺への、罰か何かのつもりだろうか。
 地獄絵図を淡々と見送ることこそが、俺に任された“覚悟”だと。
 そう期待していた部下の浅はかさを、叱咤激励しているつもりなのだろうか。

「失敗したら何度でもやり直せるんだから、訓練には絶好の機会だ。ほら」

 有無を言わさぬ強烈な殺気が、真正面から俺の眼球を圧迫した。
 ヒュウ、と後ろから楽しそうな口笛が聞こえる。十中八九ルーク先輩の仕業だろう。その証拠に、舌打ちとともに諌める轟先輩の声が後を継ぐ。

 ごくり、と生唾を飲み干した俺の前で、春歌先輩がくいっ、と傍らの人間を指し示した。
 姿の見えない人間同士の会話に、動くことも出来ず怯える元社長の顔が目に入る。
 俺は戦慄く肺の中に、懸命に酸素を取りこもうとした、けれどそれすらもままならない。
 新品の銃はカタカタと情けなく震えていて、天井から床までのあらゆる景色が、立ち眩みでも起こしたかのように白く濁り始めた。

「はる、か……先輩。春歌先輩……っ! 俺にはこんなの……っ!」
「できないってか?」

 許されたのだろうか。
 張り詰めた息をふっと緩めたその瞬間、俺は自分の考えがいかに甘かったかということを思い知らされた。

「……っ!?」

 カチャ、とこめかみに触れた冷たい音に、俺は指一本ですらも動かせなくなる。

「動揺するな。心を殺さなければ相手に顔を見られる。顔を見られれば生き残った奴らに存在を知られ、今後も殺人犯として追われる立場になるんだ。そんなヘマでもしようもんなら、私たちは真っ先にお前を切り捨てる」
「……――」

 俺は視線だけを動かして、淡々と告げる彼女の顔を盗み見た。
 血の気のない瞳だった。充血した血管すら見えない、おそろしいほど人工的な白目と、冷たいガラス球のような黄緑色の目だ。

「それとも、今ここで私に撃たれて死んだ方がウレシイ?」

 最後にそれだけを告げると、春歌先輩はにやりと口の端を持ち上げて挑発した。
 安い口車に乗せられているのだ、ということは最初から全部わかっていた。

――それでも、こうなったのは一体誰のせいだと思ってる?

 理不尽な侮辱をこれでもかというくらい浴びせられれば、空っぽの脳みそはあっという間に、悔しさと怒りで沸騰してしまう。
 すぐにでも暴れ狂ってしまいそうな身体を、俺は呼吸と爪の力だけでなんとか押さえつけた。
 すっ、と瞳を閉じて3秒間待てば、存外、心なんてものは簡単に殺すことができる。

「……わかりました、消します。あいつらも、俺自身も」

――今すぐにこの場所で、自分の手を使って。

「わざわざ貴女の力を、借りる必要なんてない」

 パァン、と、まずは力を抜いたまま一発目の銃撃。

「ひっ!」

 最初に放った銃弾は、狙いが反れて彼の足もとに当たってしまった。

――まだだ、大丈夫。まだ、俺にはたくさんの時間が残されている。

 白煙をたなびかせる床を跨ぎ越し、半歩前に進んでから二発目の銃弾を撃ち出す。

「! ぎああっ!!」

 今度は胸元を狙ったつもりだったが、わずかに反れて肩に当たってしまった。
 滝のような冷や汗の下で息を整えながら、俺は盛大な舌打ちをかましてみせる。

――ふざけるものたいがいにしろよ、俺。まだ覚悟ができてないっていうのか。

「もう一発――」
「やめてッ!!」

 ……その時。
 突然、目の前に飛び出してきた黒い影に、俺は最後の逃げ場すらも奪われてしまった。
 か細くて頼りなさげなのに、やたらとよく響く女性の声。
 その声を、俺はどうしても忘れ去ることが出来なかった。掠れた声で、名前を口にする。

「――翔歌、さん」
「もうやめてよ……松田くん! こんなの松田くんじゃない! きみは、ただ真面目に、堅実に、きみという存在を作り上げてきただけだったのに!」

 背後に控えている副社長が、わけがわからないといったような顔をしているのが見えた。
 一体どうしてなのだか知らないが、彼女は……彼女“だけ”は、どうやら俺の顔が見えているらしい。
 涙を流して懸命に上司をかばっているその姿を見て、ああ、この子は可愛い子だったなぁ、と俺は泣きだしそうな瞳に笑みを宿した。
 頼りないし、泣き虫だし、まとまりのないことばっかりしゃべってたけど、それでもこの子は本当に善い人間だった。
 少なくとも、自分に自信がなくて流されるばかりで、敷かれたレールを走ることしか出来なかった俺なんかよりは。……ずっとずっと。

「――」

 最後にひとつ、引き金を引く。
 耳に突き刺さるような、あの悲鳴がつんざく。
 俺が放った弾は彼女のどこに当たったのだろう、よくわからない。
 振り返る必要はない。むしろ俺はもう何も見たくなんてない。

――それは、今更になってどうして俺のことを思い出したんだ、という餓鬼くさい八つ当たりにすぎないことくらい。



 俺にだって、わかっていた。




 

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