――笛の音が、啼いている。
清らかな水面をすべるように、岬を目指して駆けてゆく澄んだ音色。
それは、空と海の間に突き出す船首の上から、確かにこちらへ響いて来るのであった。
せりあがる白波の潮を吸い、また人々の血潮をも吸って腐りかけたウッドデッキは、足を一歩踏み出すごとに、ギィギィと痛々しげな悲鳴を上げる。
青年はひとつ吐息を吐くと、伸びた靴ひもをだらりと引きずりながら、笛吹きの背後へゆっくりと回っていった。
強い光と、それによって生まれた影に遮られて、少女の面差しはよく見えない。
けれど、その丸くてつるつるとした頬の輪郭が、彼女の幼さを如実に表しているように思えた。
「――綺麗な曲だね、テト」
「……カイト!」
声をかけるや否や、にぱっ、と無邪気に笑った少女は、仔ウサギのようにぴょんっと船首の上から飛び降りた。
その華奢な指先から腕へと伝い、ぽたぽたと滴り落ちる雫の色は、彼女の瞳の色をそのまま零したかのような――真紅。
「……ああ、また汚れてるじゃないか。これから島に降りるんだから、騒ぎを起こされないためにも着替えた方がいいよ」
「相変わらずやたらと格好にこだわるんだね、カイトは。海賊のくせに」
鮮血のような瞳を弓形に曲げ、にやにやとからかってくるテトを見返し、カイトはむっとしたように眉根を寄せた。
「……せっかく持ってきてあげたのに」
そう言って、左手に隠し持っていたテトの服を、ひょいと持ち上げたまま遠ざけてしまう。
風に乗ってはためく上着を捉えるなり、テトは慌てふためいて顔を上げた。
「わーっ! 返せこんちくしょー! それはひとつ前の村で剥いできた一張羅だぞ!」
「そんな手でこれを受け取ったらまた汚れるじゃないか。そうやって無駄な背伸びをしてる暇があったら、さっさと水を浴びて来ることだね」
「あいよーっす。……めんどくさっ」
ぶすっと頬をふくらませ、すたすたと甲板を歩いてゆく少女の背中に、カイトはぽつりと問いかけた。
「……ねぇテト。さっき吹いてた曲って、いったい何の歌なの」
「……」
部屋へ戻ろうとしていたテトが、その一瞬ぴたりと足を止めた。
海上から吹きつける爽風が、頭に巻かれたターバンをばさばさと浚う。
それに言いようのないうっとおしさを感じ始めたところで、目先の少女がぶらりと足首を揺らして振り返った。
くすんと小さく鼻先を鳴らし、ひどく不完全な笑みを浮かべて応じる。
「何、ああいう曲が好きなの、カイトは。意外としみったれた趣味をしてるんだね」
「はぐらかすってことは、それだけ俺の質問に答えるのが億劫なの?」
カイトが笑いもせずに首をかしげると、テトはその真剣なまなざしに嫌気が差したように、やれやれと軽く首を振った。
「答えたくないのわかってるくせに、本当は無理に答えさせたくないくせに、それでも聞くんだね。カイトはバカだね」
「……」
「これは、あの島で習った歌だよ」
鼻筋に白い光をともしたまま、テトはやわらかく瞳を細めた。
「ねぇ、信じられないかもしれないけど、この歌にはすべてが詰まってるんだ。バカみたいに綺麗なオハナシも、気が狂いそうなくらいに残酷なオハナシも」
「……」
何も言えずに黙りこんでしまったカイトの前で、テトは「よし!」と言いながら両袖をまくった。
「今日は久々のご馳走にありつけっかなぁ。期待して待ってんよ、――ルコ」
青空に満面の笑みを投げかけたまま、テトが伸びやかな声を上げる。
きらきらと瞬く波のしぶきが、返り血に濡れた少女の顔を明るく彩った。
その壊れそうな輝きを湛えた少女の横顔を、カイトは甲板に立ちすくんだまま、ものも言わずにじっと見つめ続ける。
――血に塗れた笛の音の余韻が、潮の中から延々とこだまするかのようだった。