EpisodeⅧ-1

真実の翼


「……で、今日はどこを荒らすって?」

 甲板から続く一階の会議室には、メインセイルのスチールの音が、頭痛をもよおすほど豪快に響きわたる。
 その左端の机の上にあぐらをかき、テトは紅色の瞳をくりくりと動かしていた。

「次のターゲットはアデルダ家だ。この島の中では、ウチの城主との貿易額がもっとも高い」

 たばこの煙を吐きだしながら、策略家の船員がすぱすぱと答える。
 ……島の裏手に船を隠してから、もうかれこれ四日の時が経っていた。
 その間、テトたちは初日に襲った民家に身を潜め、周辺に集合する豪商の家を順ぐりに襲撃していたのだ。

「ヴォイツァは燃料資源を輸出する代わりに、香水やタバコ、チョコレートからコニャックまで、ありとあらゆる消費物品を輸入してんのさ。ヤツらもバカだよ。いくら国内で大成功を収めたとはいえ、ビジネスの仕方は明らかに外資系商人には向いてない。こんなに一挙に外貨を浪費しちゃあ、外資バランスがメチャクチャだよ。連中はそれに気づいてない。――おれの予想からするに、アデルダ家の言いなりになる日は近いね」
「でも、その家を今からぶっつぶしに行くわけなんでしょ?」
「そういうコトだ。……ま、全体の規模がハンパのねぇ商家だから、壊滅とまではいかないだろうが……」

 まるでいたずらを企む子供のように、指令塔の主はニヤリとほくそ笑む。傍らで話を聞いていたテトも、自然と意地の悪い笑みを返してしまった。
 ……震える手でサーベルを握り、初めて人を斬ったあの日から、民家を襲撃することに対する抵抗感は、泡のように儚く消え去ってしまった。
 戦いに臨むぎりぎりの瞬間まで、テトはもっと難しい攻撃の手段だとか、コツだとかといったものを、しっかりと学ぶ必要があるのではないかと思っていた。
 しかし、人殺しというものは、予想とはひどくかけ離れたものだった。
 戦いにおいてはセンスだとか、運動神経だとか、そういったものはほとんど必要がない。
 ただただ、慣れない手斧の攻撃を避けて、上から下に剣を振りおろせばすべてが解決するのだ。
 つまり、その人物の反射神経の有無だけが、生き残る秘訣となっていつまでもまとわりつく。

「出発は何時?」
「豪商は無駄に外出が多いからな、日が落ちてからの方が警備も固くなる。遅くても二時だ」
「わかった。カイト叩き起こしてくる」

 テトはそっけない口調で言い捨てると、ぴょこりと机から飛び降りて、足早に階段を下っていった。

 ……豪商の家を襲う際は、戦術に長けた門兵とぶつかることが多い。
 そのため、一回ごとの稼ぎは多いものの、命の危険性は格段に高まってしまうのだ。
 しかし、抵抗ができない民衆を襲うときよりかは、いくらか気分が楽だった。
 何故ならば、海賊を前にした門兵は、徹底的にこちらを殺す気で襲いかかってくるからである。
 向こうが殺す気ならば、こちらも殺す気で対抗しないと死んでしまう。おとなしく殺されてしまうのはごめんだ。ゆえに、殺す。
 ……こういう単純明快な公式が頭の中に浮かんでいれば、迷う必要はほとんどなかった。
 そしてなによりも、ヴォイツァ家と似た屋敷を襲撃するのは、何やら胸の内が晴々として気持ちが良かった。

 地下倉庫の扉を開けてみると、案の定、カイトは輸入物の絨毯の上に横になり、身じろぎひとつせずに眠っていた。
 あれから何度も行動を共にしてみてわかったが、どうやらカイトは、他人の傍にいることがあまり好きではないらしい。
 食事の時や仕事の時を別にして、彼が進んで人前に出る、といった姿を、テトはあまり見たことがなかった。
 大方は人目につかない甲板に立っているか、部屋の中で武器の手入れをしているか、それくらいである。
 ……もっとも、最近はやたらとテトがつきまとうので、一人でいる時間はずいぶんと減ったように見えたが。

「こらー、カイトおきろー。もうそろそろ仕事だぞー」

 ゆさゆさと肩を掴んで揺さぶっても、眉をしかめてうめき声を上げるだけで、すぐに反対側を向いて寝入ってしまう。
 その後も何度か肩を叩いたり、耳元で大声を上げたりなどしてみたが、やはりまつ毛を震わせるだけで、なかなか起きてはくれないようだった。
 テトはぷくりと頬を膨らませる。

「もー。カイトのくせにサボる気かー。おらー」

 いっそ力づくで起こしてやろうか、という最悪の手段を思い浮かべたそのとき、テトはふと、実家で姉妹を起こしたときに、呼び方を変えてみた経験を思いだした。
 特にルコは、その名の通り一度眠りにつくとなかなか起きないタイプであったので、彼女を起こす作業には、パンケーキをひっくり返すときと同じくらいの苦労を強いられた。
 テトはふん、と盛大な鼻息を吹きだすと、さっそく実行に移ってみることにする。

「おーいカイトー。カイトさーん。アイスの王子様ー。バカイトー。青いのー」

 しかし、当然と言えば当然であるが、やはり彼はぴくりとも動かない。
 日頃からよく寝る人間だとは思っていたものの、よもやここまで寝ざめが悪いとは考えてもいなかった。

「うむぅ、やっぱりだめか。カイト……お兄ちゃん?」

――と、その瞬間。

「っ!?」

 がばり、とカイトが恐ろしい勢いで身体を起こした。

「――へ?」

 度肝をぬかれたテトをよそに、彼は蒼白な顔ですがるように声の主を探している。
 硬直したままカイトの様子を眺めていると、どこか追いつめられたように視線をさまよわせていた彼と、ふと目があった。
 途端に、カイトはふぅっと全身の力を抜いて、掠れた声で呟く。

「……なんだ。ただのテトか……」
「ただのとはなんだ」

 いつも通りの失礼極まりない物言いに、テトはむすっと顔をしかめた。
 しかし、まるで船酔いでもしたかのように、額に脂汗を浮かべるカイトを見ていると、さすがのテトもいささかの不安をあおられる。

「ちょ、なにその顔。大丈夫? なんか変な夢でも見たん?」
「別に……」

 斜め下を見下ろして息を吐くカイトは、どこまでも歯切れが悪い。
 やはりそうなのだろう、と妙な確信を得たテトは、ふふんと愉快そうに鼻を鳴らした。

「わかったぞ。さてはアイスの怪物が前方から襲ってきたんだな。『今までの恨みだー。くらえ、アイスびーむ!』とか言って攻撃してきたり」
「ずいぶんと脱力系のお化けだね」
「ありゃ、違うのか」
「……ううん。だいたいそんなかんじでいいや」
「てきとうだなおい」

 あきれ果てて言ったテトの前で、カイトはよいしょ、と間抜けなかけ声をあげて立ち上がる。
 そうして上着の埃をぱんぱんと払えば、途端に全身が整ったように見えるのだから不思議であった。

「で、なんだっけ?」
「あー。たいしたことじゃないけど、まぁ、要は仕事」
「……そっか」

 こくりとあっけなくうなずいた彼は、手慣れた動作で銃弾の補充を開始する。
 テトはぱたぱたとカイトのそばまで駆け寄ると、のけぞるようにして彼の顔を見上げた。

「ねね、最近の僕の仕事ぶり、どうよ?」
「いいんじゃない。少なくとも俺よりは慣れるの早いよ」
「カイトは育ちが貧弱そうだもんね」
「悪かったね」
「にしし」

 きびすを返したテトの後頭部を、しかめっ面とともに見送ったカイトは、そこでぴたりと動きを止めた。

「……テト」
「はいよ?」
「慣れたときが、危ないから。――気をつけて」

 カイトは時々、突然意味深な予言のようなことを口にすることがある。
 いつもはそれすらも茶化すことができるのであったが、今日のテトはどういうわけだか、彼の言葉を笑い飛ばすことができなかった。

――人殺しに慣れる、だなんて。

――ああ、こんなことを聞いたら、あの二人はどんな顔をするんだろう?

 考えたことがやたらと心にのし掛かったから、テトはひきつった笑顔で軽口をたたいた。

「……死なないよ? 僕は」
「うん」

 カイトは強張ったテトの頬に軽く触れると、それを振り払うようにひとつだけ、ほほ笑んだ。

「そうだね。――テトはまだ、死ねないからね」

 それじゃまるで、カイトはいつ死んでもいいみたいじゃないか、などといったことは、とてもではないが口にすることができなかった。




 

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