「やっぱり……」
大判の冊子を両手に掲げながら、レンがうっすらと瞳を細めた。
「たぶん、生き物たちの命の源としての炎の作用が、あんただけ異常に特化したんだと思うな。風の能力者は傷の回復はできるらしいけど、命をよみがえらせることまではできないみたいだから」
このところレンは、立ち入り禁止区域と称される、屋敷の資料室へと駆けこむようになっていた。
いくら城主の息子であるとはいえ、長く資料室に留まっているのは危険だと判断したのだろう。
資料室から飛ぶように帰ってきたレンは、いつも両手いっぱいに分厚い雑誌を抱えこんでくる。
そうして、それらを手当たり次第にひっつかむと、被差別部落に関する記述を、片っ端から読みあさっているのだった。
元来より勉強熱心な彼のことだ、今回の事例を受けてからというもの、じっとしてはいられなかったのだろう。
それにしても、自らの危険も顧みず、ひたすら研究に没頭するレンの姿は、ユフをはらはらさせるばかりである。
「……そんなにたくさんの資料があるのね」
彼の大好きなバナナシフォンを隣に置くと、彼はちらりとそれを見やってから答えた。
「うん。さっき読んだ本に載ってたんだけど、被差別部落の能力者を、何人かつれてきて研究してたらしい。一番最近屋敷に拉致されたのは、十六歳の風の能力者だって」
「私と同じくらいの歳だわ。……その子もあんなふうに、無理矢理馬車に乗せられてつれてこられたのかしら……」
当時の記憶を思いだしたのか、ユフはぶるりと肩を震わせた。
「かわいそう……きっとひどくこわかったでしょうね……。家族の人も悲しんだはずだし……」
そこまで言った瞬間、ユフは唐突に、テトとルコは今頃どうしているだろう、という考えに行き着いた。
この屋敷に無理矢理連れてこられた当初は、二人のことばかりを考えていたけれど、レンと初めて出会った日から、テトやルコについて思いだすことが、徐々に少なくなっていった。
レンとともに話をしていると、今まで知らなかったことや、これからの社会について学ぶことができて、とても楽しい。
だからこそ、寂しさや心細さを忘れてしまって、二人のことをじっくりと考える機会が失われていたのだ。
「どうした?」
突然黙りこんでしまったユフを見て、レンはバナナシフォンをほおばりながら、怪訝そうに声を潜める。
それに笑って首を振ると、ユフはほろ苦い笑顔とともに答えた。
「なんでもないの。……ねぇ、ところでレンくん。レンくんは歌とか音楽って好き?」
「別にきらいじゃないけど……なんで突然そんなこと聞くの?」
さすがに、大好物であるバナナシフォンの効果はてきめんだ。
先ほどまで、小むずかしい顔をして紙面に向かっていたレンが、今や夢中になってシフォンケーキをかき込んでいる。
そんなレンの側に膝をつき、ユフは胸の前で両手を組み合わせた。
「レンくんに紹介したい、とってもすてきな曲があるのよ。レンくんのだいすきなカナリアもでてくるの」
「だから、別におれはカナリアが好きだってわけじゃないっての」
ふてくされたように頬を膨らませたものの、もはやそのような言葉は、ユフを動揺させるには至らないのだ。
ユフはくすりと笑って立ち上がると、そっと吐息を吸いこんでから口ずさんだ。
「春告げの鴇 孤高の獣
悪魔の歌う 睦言を信じて
私は祈る 永久の平和を
カナリアは眠り 闇の中に墜ちてゆく」
それはさながら、天から舞い降りる羽根のような声であった。
華やかさの中に、どこか哀愁をただよわせる旋律に寄り添って、ユフの声が小川のように流れてゆく。
吐息を交えてささやかれた音色は、もろく儚く溶けてしまいそうなほど繊細で、レンは不覚にもどくりと心臓を弾ませた。
――誰よりも明るくほほ笑む彼女が、心の奥底に抱える危うさを、はじめて目の当たりにしたような気がしたのだ。
「は……っ。結局歌いだすのかよ。相変わらず、人の話を聞かないやつ」
なぜだか涙があふれてしまいそうな気がして、レンは苦笑まじりの冗談を言う。
それでも、レンは食べかけのケーキの横に頬杖をつくと、ユフの歌が終わるそのときまで、じっと耳を傾け続けていたのだった。