夕刻に特有の薄紫色の空が、テーブルクロスの上に細い斜陽を落としていた。
その机はかつて、この部屋の住人である、金髪の少年のものであったはずだと、ユフは思う。
そして、そのようなことを考えれば考えるほど、窓の隙間から注ぐ風の音色が、わびしさを増して響くばかりであった。
――もう、かれこれ三日ほどの時間が経つであろうか。
――資料室に向かったきり、レンがこの部屋に帰って来なくなったのは。
その間、ユフは食事を運んでくる使用人たちに、幾度となくレンの様子を尋ねて回ったのであるが、どの人間もその件に関しては、頑なに口を閉ざすばかりであった。
レースの編み目に頬杖をつきながら、ユフはぼんやりと思考にふける。
――いい加減、わたしもきらわれてしまったのかしら……。
しかし、たったそれだけの理由であるとすれば、それはどんなにか良いであろう。
最も考えたくなくて、最も高い可能性を秘めていることは、そんなちっぽけな悩み事とは、数里ほども離れたところにある。
――もしも、もしも資料室に通っていることがばれてしまって、彼の身に何かあったのだとしたら。
それは、想像をするだけでも、寒気がするほど恐ろしいことであった。
そもそも、ここに連れてこられた経緯から考えても、この屋敷の住人たちは、必ずしも温厚な手段を取るとは限らないのだ。
ひょっとすれば、彼が何らかの罰を受けている可能性も、十分にあり得る。
――それならば。
本音を言えば、ユフはかつてないほどの心細さを抱いていた。
しかし、この状況を黙って見過ごすわけにはいかないのだ。
彼女はソファの上に身を丸めたまま、人目につきにくい闇の刻を待った。
そうして、屋敷の者たちが完全に寝静まったころ、たった一人で資料室に向かうことを決意したのだ。
暗い廊下には光がなく、野外から差しこむかすかな月明かりのみが頼りであった。
ひび割れた冷たい柱を頼りに、ユフはひたすらに廊下を歩いてゆく。
足音が立たないよう、靴は部屋の中ですでに脱ぎ捨ててあったので、普段は感じない大理石の境目が、足の裏を通してくっきりと伝わってきた。
火の消えた蝋燭のシャンデリアが、夜風を受けてちりちりと啼く。
やがて、それから何十分も歩き続けたころ、視線の奥にうっすらと扉の形が見えるようになった。
青色と緑色のステンドグラスで飾られたその扉は、二対の柱に囲まれるようにして立っている。
自然と口の中に唾が溜まってきて、ユフはこくりと喉を鳴らした。
追い立てられるように足を速め、夢中になってノブの先に手を伸ばす。
――すると。
「――こちらの資料室には誰もいらっしゃいませんよ」
突然、柱の影が二つに裂けて、傍らから静かな少女の声が割りこんで来た。
今まさに扉を引こうとしていたユフは、その一瞬、まさに心臓をわしづかみにされたような錯覚に陥る。
――あと一歩……だったのに。
絶望に駆られたまま悄然と立ち尽くしていると、声の主であるうら若い少女は、床まで伸びた銀髪を引きずりながら、つかつかとこちらへ歩いて来た。
鋭く尖った弓のような瞳。……その、まるで血のような赤さが、夜闇の中でも爛々とした光を放っているようで、ユフはきゅっと身をすくませてしまう。
――どうしよう。
――こんなところで見つかった場合、わたしはいったいどうなってしまうの……?
不安に打ち震えるユフの目の前で、少女はかつんという靴音とともに立ち止まった。
そうして、戦士のように毅然とした顔を上げると、どこか敵意のこもった声で問いかけてくる。
「あなたがレン様の婚約者である、ユフとやらでございますね」
「……え? え、は、はい」
「こちらに。決してよけいな物音を立てぬよう、わたくしの後ろについて参りなさい。よいですね?」
彼女の瞳の中のルビーが、いっそう凄みを増したように思えた。
これから一体、どこに連れて行かれるのだろうかと考えると、恐怖のあまり心臓が飛びだしてしまいそうになる。
しかし、ここまで来てしまった以上、自分にはもはや逃げることも隠れることも許されてはいなかった。
「……わかりました」
ユフはうなだれ、床の上から重たい足を無理矢理引きはがす。
窓の外では蝙蝠が羽ばたき、きぃきぃと不気味な音波を奏でていた。