Epilogue-1

歯車は、詠う


「くあ~……ああ、眠いったらありゃしねぇな……っと」

 燕のさえずりを横耳に挟むなり、門兵は心置きなく欠伸をしてのけた。
 しかし、大きく伸びをする男の風体は、明らかに常人たちとは異なっている。
 何せ彼は、人間らしい毛髪の代わりに、それはそれは見事な黄金の鬣をそよがせているからだ。

 数年前、革命軍の一員として働き、大きな功績を残した彼は、生まれつき持っている獅子の面を活かし、城の門兵を任されていた。
 ……とは言っても、先代の城主が斃れてからというもの、島の情勢は限りなく平穏に近い。
 おまけに時折やってくる、財宝目当ての盗賊たちでさえ、ラカンの顔を一度目にすれば、すぐさま尻尾を巻いてしまうのが常なのである。
 ゆえに、多くの血が流れたあの日から、ラカンは一度も己の槍を振り回したことがなかった。

 ……しかし、そんな悠長なことを考えていた矢先、思わぬ轟音がラカンの耳を襲うことになる。
 正門を前にして、ちょうど南西の方角にある小さな飾り門が、がたがたと喧しい音を立て始めたのだ。
 こんな真昼間から侵入を謀るとは、なんと計画性のない盗賊であろうか。
 ラカンは大股でずんずんと歩みを進めると、問題の人物を見上げる間もなく、自慢の大声を張り上げた。

「おい、そこに居るのは一体誰だ!」
「んお?」

 ……しかし、瞳に映しだされた犯人を悟った瞬間、ラカンは猛烈な脱力感を覚えてしまう。
 柵の上に足を乗せ、くるりとこちらを振り返ったのは、口の中に一口大のパウンド・ケーキを頬張っている、小柄な赤髪の少女であったのだ。

――なんだ、ただのガキのいたずらか……。

 ため息とともに拍子抜けをしたのも束の間、ラカンはすぐさま、通常とは異なる沈黙の長さに、怪訝な顔を振り上げてしまった。
 彼の驚きも無理はない。何せ、平生であれば、誰も彼もが逃げだしてゆくはずの獣の面が、今日は全く効果をなしていないからである。
 事実、自分の倍以上もある大男を前にしてもなお、少女は全く怯えるそぶりを見せていなかった。

 何となくおもしろくない、と口許を捻ったラカンは、ただでさえ恐ろしい面をさらに恐ろしく見せようと、金色の歯をむき出しにして、グルルと低い唸り声を上げてみる。
 しかし、相変わらず門の上に跨ったままの少女は、人差し指でぽりぽりと頬を掻くのみであった。

「あー。ごめんごめん、ライオンのおっちゃん。なんか、表の門がばっちり閉まってたからさ、こっちから入るしかないかなーって思って」
「ここは城主・カムイさまがお住まいになる、由緒正しき屋敷であるぞ。断じて子供の遊び場などではない」

 ふざけた口調にますます腹が立ち、ラカンは厳めしい顔つきでぎろりと少女をにらみつける。
 それでも、彼女はぱちくり、と大きな瞳を瞬いた後、口の中のケーキをごくん、と飲み干した。

「えー? 僕、もうそろそろ十七歳なんだけどなぁ」
「十七歳だろうが何だろうが、そういうことをしている時点で子供は子供だ。わかったら、いい加減にそこから降りてくれないか」

 精一杯に厳しさをにじませようとしたものの、元来の性格が災いをしているのか、とうとう子供を諭すような口調になってしまった。
 これは一体どうしてくれようか、とラカンが真剣に頭を抱えこんだその時。

「――良いんだ、ラカン。その子は私の客人なのだから」

 突如、すらりとした女性の影絵が差しこんで、ラカンはハッとしたようにその場に硬直した。

「! る、ルコ殿!? い、いったいいつからこのようなところへ!」

 城主カムイを支える補佐官のうち、暴走しがちなルークを諌める女性――ルコの姿が、突如ラカンの目の前に現われたのである。
 驚きに目を剥くラカンの前で、彼女はきょとんと首を傾げてから答えた。

「何故って、上の階からテトの姿が見えたからに決まってるだろう? ……と、いうわけで、この子は正真正銘私の知り合いなんだ。門番としての役割を、立派に果たしてくれたところで非常に忍びないんだが、彼女のことを通してはもらえないか?」
「し、しかし……この格好はどっからどう見ても、いささか怪しすぎやしませんかねぇ?」

 当人からお墨付きをもらったとは言えど、未だに不信感の拭えないラカンは、顎に肉級を添えたまま、しげしげとテトの身なりを観察し始める。
 そんな、どこまでも正直な門番に向かって、ルコは淡い苦笑を浮かべた。

「旅好きな者なんだ、多少のことは私の顔に免じて目を瞑ってくれ。……すまないな、テト。少し口うるさいところはあるけれど、ラカンは本当に真面目で気の良い男なんだ」
「いーよ別に! こんくらい慣れてるしっ」

 にしし、と一年前と寸分たりとも変わらない笑みを浮かべた少女――テトは、柵の頂上からぴょこんと飛び降りる。
 相変わらずの鮮やかな身のこなし方に、ルコは感嘆の息を吐きながら彼女を迎え入れた。

「何もなくてつまらないところかもしれないが、ひとまず私の部屋に行こう。周りに見つかるとうるさいから、二階のバルコニーを伝って行こうと思うんだけど、良いかな?」
「バルコニー? ……ああ、昔僕らがよじ登ってたあそこね! 上等、上等!」
「こらっ! ルコ殿! たった今、聞き捨てならない台詞を聞いたような気が致しましたぞっ! ……って、おうぃ……ったくもー、聞いちゃいねぇや……」

 たった一人門外に取り残されたラカンは、がっくりと肩を落としたまま、二人の背中を諦め半分に見送ったのであった。








 

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