EpisodeⅢ-1

孤高の獣


 さらさらと擦れるシルクの手触り。
 リリィの髪飾りから漂う高貴な香り。
 薄く塗られた紅は唇をひんやりと潤し、シャラシャラと擦れ合う銀色のネックレスは、まるで楽器のような音色を奏でて心地よい。
 ……それなのに。

「……準備が出来たようですね。では、こちらへ」

 彼女の姿を上から下まで冷瞥したメイドは、感情の無い動作で右手を上げると、そのまま静かに付いて来るよう命じたのであった。
 何かまずいことでもしてしまったかしら、と銀色の瞳をぱちくりと瞬きながら、ユフはゆっくりとそれにならう。
 ライトグレイの三つ編みがふわりとなびき、頭にかけられた薄い布を弾くような気配がした。
 白く長いスカートの裾は、風に流されて浮き上がってしまうほどに軽い。
 そのため、角をひとつ曲がるたびに、壁の装飾にひっかかりそうになるから厄介であった。
 ゆえに、ユフは小さな肩幅をいっそうすぼめて、ドレスの端をつまみながら歩くしかない。
 すると、もっとしゃきっと歩きなさい、と言わんばかりのきつい視線が返ってくるのであった。
 メイドの口元には深い皺が刻みこまれているので、ひょっとするとあのひとは、見た目よりもずいぶんと歳をとっているのかもしれない。

 ここはなんてきゅうくつなところなのかしら、と心の中でこっそりとひとりごちて、ユフはくすくすと笑ってしまった。
 周囲を取り囲んでいた兵士たちは、ユフがほほ笑んでいることに驚いたらしく、ぎょっとしたようにこちらを見つめている。

(うん、やっぱりどうしようもなくきゅうくつだわ。)

 泣いても笑っても多くの人々に注目されるなんて、ここはちっとも自分の性には合っていないらしい。

 ……ユフはこれから、自分をこの屋敷へ連れてくるよう命じた、城主の末息子に会うことになっていた。
 だからこそ、今まで一度も経験したことがないような、気合いの入ったお化粧をして、ドレスやアクセサリーで身を着飾って、この寒々しい廊下を歩いているというわけである。

 それにしても、城主さまの末の息子さんって、いったいどんな人なのかしら、とユフはのんびりと小首をかしげた。
 噂によると、彼は自分よりも三歳ほど年下の、まだあどけなさを残す少年なのだそうだ。
 それならば単純に計算すると、ちょうどテトと同じくらいの年になるということで、へたをすればまるで弟のような感覚で接することになるのかもしれない。

 そんなことを考えていると、一番先頭を歩いていたメイドが、扉の前でぴたりと立ち止まった。

「――着きましたよ。ここが、“あのお方”のお部屋でございます」

 ギィィと歪む重厚な扉の音に、さすがのユフもいささか緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
 胸の上に手のひらを当てて深呼吸をしながら、ユフは扉の向こうに目掛けて、神妙な眼差しを送っていたのだった。
 赤い扉の先に待ち構えていたのは、大きな一人用の書斎部屋であった。
 棚をびっしりと埋め尽くす書籍、壁にかけられたいくつもの著名な絵画。
 引き出しの多いデスクの上には、鈴蘭を模した紫色のガラスランプが置いてあり、暖炉の上には金色の蝋燭立てが飾られていた。
 その手前の赤絨毯の上、ゆったりとしたソファに腰かけていた少年が、ふとこちらの物音に気がついたように顔を上げる。
 使用人たちがいっせいに頭を下げた。

「――失礼致します。件のお方をこちらへ連れてまいりました」

 先ほどからいっさい名前を呼ばれない少年は、使用人たちの顔を左端から順に一瞥すると、最後にその中央に立っているユフへと視線を重ねた。

 ……その瞬間、何かを切り裂くかと思うほど鋭い碧眼が、ユフの顔をギラリと捉える。

 ざわりと心臓が波打つや否や、金髪の少年はあっさりと視線を断ち切ると、読んでいた本を放り投げて、すたすたとこちらへ歩み寄って来た。
 踏み出す足の歩幅や手の振り方、そのひとつひとつに言いようのない気品を漂わせながら、彼はあっという間にユフの目の前までやってくる。

 それからしばらくの間、少年は笑いもせずにじっとこちらの様子を伺っていた。
 しかし、突然にこっと可愛らしいほほ笑みを浮かべると、自分よりもいささか背の低いユフに向かって、両手を伸ばしてぎゅっと抱きついてくる。
 光を弾く金色の色彩とともに、ふわり、とほのかなレモンの香りが舞い上がった。

「――よくぞ来てくれた」

 ぼそっと耳元に落とされた囁き声は、声変わりを迎える前の甘さの中に、どこか大人びた低音をも漂わせている。
 出会って間もなく与えられた突然の不意打ちに、ユフは不覚にもどきどきと心臓を高鳴らせてしまった。
 しかし、少年はそんなことには一切気を払っていないのか、ユフを抱きとめたままくるりと使用人たちを振り返る。

「御苦労だったな、皆の者。おれのことはもう良いから、ひとまずここから下がるが良い」
「! しかし……っ」
「――良いから下がれ」

 相変わらずにっこりとほほ笑んでいるものの、最後の言葉には有無を言わせない圧倒的な強さが滲み出ていた。
 使用人たちは困ったように視線を交わし合ったが、やがて勢いに呑まれたように口をつぐむと、ぱらぱらと実に統一感のない一礼をする。

「……し、失礼致しました」

 結局、為す術もなくすごすごと退いてしまった一群のことを、少年は非常に完成度の高い笑顔で見送ったのであった。





 

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