Scene11-1

まるとばつのゲーム-1


 小林が転校した。

 とはいっても、この街ではこのような生徒の出入りは至極当たり前のことだったので、さしあたって特に誰も何も言おうとはしなかった。
 きっと大人の都合か何かで、仕方のないことだったのだろう、と大した理由も知らずに落ちついてしまう。
 たとえどんなに理由を聞いても自分たちには到底わからないであろうし、向こうは向こうで向こうの友人を作るのだから、こちら側も彼のことを忘れてしまったって問題はないだろう。
 これは、置いて行かれる側の最後の意地というやつであるのかもしれない。


「及川、お前おれの代わりに作文書いてくれよ。お前のって、なんつうかゲージュツテキなんだもん」

 三連休を挟む前の、最後の金曜日の放課後だった。
 下校途中に通りかかる七井戸公園の、丸石の敷き詰められた広場の上に、二人は足を伸ばして座っていた。
 よくよく探せば紅葉の近くに、木製のベンチがあったはずなのであるが、一度座ってしまうと居場所を変えること自体が気に食わないので、二人は頑としてその場を離れなかった。
 さすがに尻のあたりが痛んできたが、こういうことは言いだした方が負けだとすら思っていた。

「星野さんだって、なんかすげぇの書くしさ。おれには、なんであんなに文章がぽこぽこ出てくんのか理解できんね。今回の席替え、もしかして作文のうまさで決まったんじゃねぇの?」
「愛想の悪さの間違いだよ、きっと」

 よく肥えたカモの集団を見送りながら、侑記は正直に答える。
 犬の散歩に来ていたおばあさんが、遠くの橋でカモにえさをやっていたので、二人の近くは比較的平穏であった。
 水面へ突き出した石の表面に、白い波模様が複写されてふよふよとうごめいている。

「作文ならいくらでも代わりに書くからさ、小林は僕の図工のデザイン、考えてよ。僕にもああいう才能があればよかった」

 えさをもらい終えたカモが、何を期待しているのか今度は侑記たちのもとへと流れてきた。
 池の上に打ちこまれた杭の上に順繰りに乗ると、揃いも揃っていそいそと毛づくろいを始める。
 頭の茶色いカモは、羽根の裏にチラリときれいなエメラルドグリーンの羽毛が生えていて、その色が侑記はやたらと好きであった。

 小林は派手な柄物のTシャツをまくると、指先を使って器用に頬骨の上をかいた。

「中途半端な才能があるから、面倒なんだっての」

 深刻そうな小林の声とは裏腹に、カモたちは鶏のような声でくっくっくと呑気に鳴いている。
 侑記は念のため小林の方を振り返ったが、彼は太めの吊り眉を恨めしげに中央へ寄せているだけで、こちらに見向きもしなかった。
 再び、小林の声が舌の上でこすれる。

「なぁ、及川。おれだってそりゃあ、ああいう才能はあってよかったって思ったことはちょっとくらいある。なんたって性格がこんなカクカクのネジネジなおれだって、図工の時間だけは人気者の大スターになれっかんな。けどよ、なまじ才能があると、期待させられて困るっていうアレもあるわけよ」
「期待させられる?」

 侑記がぱちりと瞬くと、小林は傾けた重心とは反対方向の耳に、人差し指を突っこみながらうなずいた。
 そうしてもともと細いはずの両眼を、さらにきゅっとすぼめて遠くをにらむ。
 どうやら彼は、整列するカモが一本だけ杭を飛ばして座っているところに、大変な嫌悪感を抱いているらしい。

「そ。おれだってああいう楽しいことばっかりをして、一生を終えてみてぇって考えたことはあるよ。そりゃあ一度と云わず十度と云わず百度と云わず、何度もさ。けど、及川だって知ってんだろ。そんな恵まれた人生送ることができるのなんてさ、小指の先ほど小さな島に住んでる住人どもだけだ。おれは自分の運のなさにはホトホト呆れてるとこなんで、自分がその島に漕ぎだしたところで、あっけなく沈没するのは眼に見えてんね。そりゃあ、もっと誰もを圧倒するような絵が描けるんだったら、おれだってちょっとは考えたさ。けどな、こんなハンパ者が今更なにしたって、そりゃあ無理があるってもんよ。そんなら最初からあきらめちまった方が、それなりの高校に入って、それなりの就職先を見つけて、それなりの収入を得てとりあえず食っていけるわけじゃん。な、そのほうがよっぽど無難だろ」

 侑記はなんともなしに、ボロボロにすり切れた小林のスニーカーと、そこに突っこまれた裸足の足首に目線を落とした。
 彼の足元には、弾丸のようにつややかに光る、名前も知らない黒い木の実が落ちている。
 横からつま先でこつんと蹴飛ばしてやると、木の実は急な坂道を加速しながらどんどん転がってゆき、やがて池の中にぽちゃんと落っこちてしまった。

 侑記が黙りこくったまま何も返さずにいると、でもなぁ、と言って小林は溜め息をついた。

「お前みたいな奴にそういうこと言われるたびに、ばかみてぇに期待しちまうんだって。あ、ひょっとしたらいつの日か自分みてぇな奴にも、幸運の女神様とやらがやってきて、おいでおいでと手招きしてくれんじゃねぇのって。で、それからすぐにそんなうまい話あるもんかって打ち消して、でもまた何か作りたくなってる自分がいてさ。やってらんねぇよ、こんな不毛なこと。フワフワしてて落ち着かねっての」
「いいじゃないか、だって僕たちはまだ小学生だよ。今くらいなら夢を見てたって誰も文句言わないよ。こんな早くにあきらめちゃうなんて、もったいないと思うけど」
「ちげぇっての。そうじゃなくて、誰かに認められないのがこわいんよ、おれは」

 小林は苦笑して、ハエを避けるときのように軽く左手を振った。
 いつの間にか、彼の足元にはたくさんのカモたちが集まって来ていた。

「及川も知ってんだろ、おれは自分で見ててもムナクソ悪くなるくらい、性格がひん曲がっちまった。残されたのはこのハンパな才能だけだ。だから、こいつを否定された日にゃ、おれは生きてけねーよ」
「小林は何か誤解してる。ぜんぜん、小林は自分が思ってるほど性格悪くないよ。長年つきあってる僕がそう言ってるんだ。最初は少しびっくりするかもしれないけど、だんだんわかってくれる人はいる。絶対いるよ」

 ざあああ、という落ち葉の声がどんどん高くなって、腕から二の腕にかけてぶわりと鳥肌が立った。
 笛のようなカモの奇声を耳に挟んだとたん、小林は侑記を見つめて、そしていつもと同じ妙に大人びた表情で笑う。

「ずっとお前みたいなやつといられたら、それで良いんだけどなぁ」

 細かく波打っていた池の表面が、ヘラで伸ばしたようにすーっと真横へ伸びていった。
 侑記は、そのまま噴水が勢いよく噴きだしてくれることを期待していたが、人々が集まる夕刻まではそれなりの時間があるので、次に噴水が上がるのはせいぜい三十分後といったところであろう。

 一見してみるとかなり切実な願いを口にした小林は、それでも死んだシダレザクラの枝を見ながら、「まったく、欲あるチキンはこういうところがいやだよ」などとあっさりつぶやいて、そうしてその後に続けるように、「ああ、そっか。おれは鶏肉ばっか食べてるからこんなことになったんだな。今度からは豚肉にすっか」とか、そんな程度のことをもう一度口にした。
 侑記は、半ば無意識のうちに声をかよわせていた。

「小林」
「ん」
「あきらめるのは、夢だけでいいからね」

 小林は仕返しと言わんばかりに、侑記の発言に対して何も言わなかった。
 その沈黙が針のように痛かったから、侑記はあえて冗談を交えて付け加えた。

「あと、くれぐれも変な宗教に巻きこまれないように」
「宗教か」

 小林はそこまで来ると、ようやっと無邪気な声で笑い始めた。

「いいなぁ、それ。何かおれが気のきいた宗教でも作ってやろうか」
「よしなよ、小林が作った宗教なんて、きっとろくでもないものに決まってる」
「パパラマダラバ教にしよう」

 割り箸くらいの長さの小枝が、北風に押されてカラカラと不満げにくすぶる。そのごくわずかな音の隙間をぬって、小林は突然そんなことを言いだした。
 まるで、侑記が話すよりもずっと前から、その名について繰り返し頭の中で考えていたかのような口振りだった。

「おれの宗教は、パパラマダラバ教。いいね、最高だ。及川、第一の教徒になるつもりはないかね」
「いやだよ、そんな怪しい名前の宗教なんて」
「いいじゃねぇか。後にパパラマダラバ教が世界的な宗教になったら、お前の名前が教祖様・小林大五郎に続いて二番目に載るんだぜ」

 そんなのいったいどんな確率だよと思いかけて、侑記ははっとした。
 ……おそらくキリスト教だって仏教だって、きっとこんなにも小さな思想の火種から始まっていたのだ。

 一つだけ、やたらと赤く色づいている紅葉の木がある。
 枝の右半分だけの葉が散って、ひどく寒そうに枝を震わす姿に、侑記はひどく漠然とした憐みを抱いた。
 細かくて丸くて黄色い落ち葉が、風に流されてゆっくりと下降してくるさまは、桜や雪に少しだけ似ている。

「……好きにしてよ」

 どこかげっそりとした面持ちで、侑記は水色のランドセルのひもを引き寄せた。

「そのかわり、僕は幽霊教徒だ。それでもいいっていうなら、名前を書けばいい。僕は関係ない」

 小林は「らしいなぁ」と間のびした調子で言って、ことさら満足そうに両手を叩いていたが、ややあって突然その笑みを砕くと、いつになく真剣な表情で侑記の顔をのぞきこむ。

「なあ及川、おれはお前がうらやましいんだ。本当だぜ」

 記憶している限りでは、小林がそんなことを述べたことは、未だかつて一度もなかった。

「そうやって自分から存在を消していけるってさ、オトナっつうか、なんつうか。おれだってお前みたいに物欲がなかったら、こんな思いなんてしないですんだろうに。全世界の人間がみんな及川だったら、きっと戦争なんて永遠に起きやしない」

 それと同時に、競争も起きないから発展もしないだろうことは実に明らかだったけれど、侑記はただただぼんやりと笑ってありがとうと言った。
 なるほど、確かに二度と戦争なんて起きなさそうだと思った。




 

 

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