Scene12

真夜中の鼓笛隊


 半分だけ生き残ったオレンジ色の豆電球が、ジージーとかすかな音を立てている。
 あれは確か、もうそろそろ寿命だから新しいものに取り替えてくれ、という合図なのであった。

 先ほどまでは、ふにふにと毛布を押してベッドメイキングをしていたはずだったのだが、爪先の辺りにいたはずの奈々が、いつの間にか腕の上までやってきたらしい。
 それからしばしの間、二人そろって大人げなくたったひとつの枕を取り合った。
 最初は人間の特権としてうまい具合に枕を占領した侑記であったが、奈々の毛が鼻に触れるくすぐったさに敵わず、仕方がなく枕から頭をはみ出して眠ることにする。

 人間よりも速い奈々の寝息(というよりは鼻息)は、うるさいし先ほど食べたキャットフードの影響かずいぶんと魚くさい。
 胸の上に置かれた前足は時おり意味不明なところで跳ねるし、耳は少し触れただけでぴんと大げさに指を弾く。
 この上なくやかましいが、ついつい笑みがこぼれてしまう。

 奈々の毛は一番下の猫のココほどちくちくしてはいないし、真ん中の猫のリリほどふわふわしすぎていない。
 適度に弾力のあるつやつやした毛は、撫で心地がよくて侑記は特に気に入っている。
 細い毛が二、三本飛びだした、冷たい奈々の耳先をそっと握る。鼻の下のしみを見て年だなぁと笑い、ついでに二本の指で鼻の穴もふさいでみる。避けられる。
 いつの間にか一緒に寝るはずが、彼女の睡眠を妨害して遊んでいることに気が付き、少し反省もする。


 すると、どんどこどんどこと、どこからかほのかな太鼓の音色が聞こえてきた。
 いったいどこから聞こえて来たのであろう、と疑問に思った侑記は、あちらこちらに身体の向きを変えながら、音の出どころを懸命に探し当ててみようと努めた。
 しかし、うつ伏せに寝がえりを打ってみれば、一階のリビングからリズムが刻まれているような気がするし、はたまた扉の方に向きを変えてみれば、姉の寝室から音楽が聞こえてくるような気もするし、とにかく物音の手がかりはいっこうに掴めないどころか、むしろ次第に可能性の数だけが増えるいっぽうで、ますます混乱の渦が拡大ゆくのみなのである。

 弱り果てた侑記は、冬太りをした奈々を腕の中に抱きながら、すっかりあきらめの境地に陥って目を閉じてしまった。
 そうして頭の芯がふっと眠りの中に沈みこんでしまう直前になって、唐突にあることに気がつく。

 上でも下でもましてや横でもないというのならば、それは自分の中から聞こえてくるに違いない、と思い当たったのだった。
 実際、よくよく耳をすませてみると、太鼓の音は確かに自分の口元から聞こえてくるようなのである。
 怪訝に思ってさらに目を細めてみると、暗闇に慣れた瞳の中に、あるひとつの影絵が、飛び出す絵本のように立体的になって浮き上がってきた。

 それは、半開きになった侑記の口の中やら、すぴぃすぴぃとうるさい奈々の鼻息やら、そういうところから最初は煙のようにもやもやと立ち上がって、次の瞬間には徐々にはっきりとした人形の形をとって、そうしてひとりでに歩き始めるのだった。
 それが次から次へと、あたかもベルトコンベアーの上を流れる製品のように、際限なく量産されてゆくのである。

 やがて、整列した鼓笛隊がサイドテーブルいっぱいを埋め尽くすと、いったん全員が中央に集まって行進をやめた。
 そうして一回目の笛の合図とともに、それぞれが決められた列に分かれて立ち止まる。
 二回目の笛の音でまとまりを作ったまま左右に向かい、定位置についた者から順番に立て膝をついて静止した。
 三度目の笛で再び全員が立ち上がり、一歩進む、そして二歩進む。

 間もなくして、夜闇に順当な小さなマーチング・バンドの演奏が始まった。
 しかし、最初こそ皆が棒振りに合わせて合奏を続けていたものの、曲が中盤のしっとりした部分に突入すると、出番を失った一人のトランペット奏者が、みるみるうちに退屈をし始めた。
 あくびをしたりせきをしたり、足踏みをしたりなど落ち着かない様子で辺りを見回していたが、やがてクラリネット奏者がソロパートを演奏しようとしたそのとき、突然トランペット奏者が隣の男のわき腹をつつきはじめた。

 一番大事なところで演奏の邪魔をされたクラリネット奏者は、腹を立ててクラリネットで隣の男を殴りつけてしまった。
 それに逆上したトランペット奏者が、全く蚊帳の外で演奏を続けていたホルン奏者を殴りつける。
 次第に争いはまるで嵐のようにあたり一面にペストしてゆき、オーケストラが奏でる和音は、とうとうただの雑音へと変わっていってしまった。

 ふいに、武器を使って殴る行為に飽いたクラリネット走者が、何の前触れもなく唐突にトランペット奏者の頭に噛ぶりついた。
 いや、噛ぶりついただけならどれだけましであっただろうか、彼はそのまま歯を立てて頭の部分をかみ砕いてしまうと、そのまま顎を動かしてばくばくと咀嚼をし始めたのである。
 概してこのオーケストラは集団として動いているから、共食いの流れはまたしても一気に伝染していった。

――ほらね小林、やっぱりえさが足りていても足りてなくても、何かしら不満なことがあれば共食いっていうものは起きるみたいだよ。

――あのとき、小林の水槽で腐っていたメダカは、やっぱり共食いされて負けたやつだったのかな? そうだとしたら敗因はいったい何だと思う? ルックス? 腕力? 頭脳?

 それとも、聴力かな?

 そんなことを考えているうちに、いつしかフルート奏者はいなくなり、次いで打楽器奏者がいなくなり、やがては指揮者さえもがいなくなった。
 星の煌めく夜空の下に、雑音の代わりに生まれた心地よい沈黙が響きわたってゆくと、そこには鼓笛隊の姿は誰一人として見あたらず、代わりに現れたのは灰色の毛並みを持つ一匹の猫であった。
 彼女はちょうど四十四名の鼓笛隊員たちをひとつにまとめたくらいの大きさをしていて、奈々とはいくぶんか違う、スリムなしっぽとウェストラインを持っていた。しかし、その猫には顔らしきものがついていなかった。
 まるで猫の形をした影絵のようなそれは、もじゃもじゃとモザイク状の斑点をうごめかせながら、居心地が悪そうにベッドサイドから身を乗りだした。
 そうして大あくびをしながら後ろ足だけで軽く伸びをすると、おもむろにベッドの縁を蹴り、窓の向こうへ溶けるようにして消えていった。


 ガタンゴトン、と遠くから電車の音が聞こえてきたような気がして、侑記ははっと我にかえる。
 慌てて自分の布団の中を顧みると、そこには相変わらずすぴぃ、すぴぃと鼻息を立てながら、幸せそうに寝入って奈々の巨体があった。
 念のためにベランダの外をのぞきこんでみたが、温度差に負けて曇り果てたガラス戸には、寝ぐせの立った少年の顔がわずかに映るのみなのである。

 ジージーと蝉のように鳴いていた豆電球がぷつりと切れて、たちまちに部屋の中は真っ暗になった。






 

 

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