Scene14

無題


 
十月ニ三日(土曜日)

 こうして文字を書いていると、どうして僕はその十分の一も外に出すことができないのかと、いっそ不思議な思いまでしてきます。
 紗弓は、思っていることをうまく外に出すことができないという点に関しては、僕と“同じ”であると言ってくれました。

 けれど、僕はどうしてもその言葉を信じることができません。
 だって彼女はみんなと同じ耳を持っている。
 みんなが聞いた言葉をみんなが聞いたとおりに聞いて、それを覚えるという能力をちゃんと持っているのです。

 それなのに、僕の耳は僕自身の、よりにもよって体内から発しているはずの声を、体外に取り付けられた器具でもう一度組み替えて、それを聞きとっているようなものです。
 なんでそんなまだるっこしいことをしなくちゃいけないんだろうと、僕の耳も僕自身も考えています。
 けれど、それは僕自身が欠けている存在だからだと、僕も僕の耳も思っています。

 だから、しょうがないと思う。
 思うのだけれど、僕はどうしても納得できないんです。
 しょうがないと思わなくちゃいけないということは、頭の中ではきっちりわかっているはずなのに、どうしてそんな簡単なことができないのかというと、それはやはり僕が何か欠けているからなのでしょうか。

 そして“同じ”だと口にする紗弓のことが、このごろどこか憎らしくさえ感じられるのはなぜなのでしょうか。

 紗弓は根はいいやつです。
 だから、彼女はいつの日かあの「言葉を上手く形にできない」というくせも、ある程度は回復させていくのでしょう。
 彼女が小学校を卒業して、中学生になって、高校生になって、そしていつか大学生にもなるころには、もしかしたら彼女はこの古本屋と反対側にあるショッピング・モールで、女友達と楽しそうに笑いながら歩けるようになるのかもしれません。

 それはぜんぜん悪いことなんかじゃないんです。
 そうじゃなくて僕がつらいのは、僕にはそのわずかな可能性すら残されていないことなんです。

 だって、どんなに僕が補聴器の音に慣れても、その間に僕の友達はみんな新しくてむずかしい言葉の発音の仕方を覚えてしまいます。
 僕がようやっと言葉の発音の仕方を覚えたとしても、その間にみんなは自分の覚えた単語をいかに素早く上手く、そして劇的に並べ変えることができるか、ということの訓練に移ってしまう。
 そのようにして、僕はいつまでたってもみんなと比べれば半人前のままなのです。

 他人と比べず、自分が昔から少しでも成長できれば、それは十分な進歩であると、先生なら言ってくれそうです。
 けれど、実際の世の中は決してそんなものじゃないのでしょう。
 そんな悠長なことを言って僕のことを見守ってくれる人は、せいぜい養護学校の先生かお医者様くらいです。
 東京のスクランブル交差点を早足でせかせか歩いて、肩がぶつかっても謝ることを知らないふつうの人間たちのスピードの中に置き去りにされたら、僕は真っ先に交差点につっこんできた車に曳かれてしまう。
 硬直したまま逃げ遅れて、誰にも振り返られることなく死んでしまう。

 それが、なんとなくだけれど絶対のものとして想像できるから、僕は厭なのです。
 僕はこの先の道を生き続けるかぎり、永遠に人によってバカにされ続け、しゃべり方が気持ち悪いと言われ、押し退けられる。
 どんなにみんなが優しく接してくれても、心のどこかではこいつのことは面倒くさいと思われるのでしょう。
 バカにされることは僕自身が慣れればちっとも悲しいことじゃなくなるかもしれない。
 けれど、口には出さずとも心の中でいっそ消えてしまえと思われるくらいなら、本当に僕は言葉通り死んでしまってもよいような気がします。

 だって、先の見えている人生をもう一度実際に繰り返すのに、一体何の意味があるんですか。

 そんな馬鹿らしくてまだるっこしくて面倒くさいこと、まっぴらだって僕も僕の耳も思っています。

 すこし前、世界の終わりの公園で不思議な人と会いました。
 彼女は僕に猫になって欲しいと言っています。
 彼女の言うことが本当なのだとすれば、僕はそれも少しいいのではないかなと思います。
 もしも今後僕からのメールが来なかったら、先生は僕が猫になったと思って、どうぞ知らないふりを続けていてください。よろしくお願いします。

 それでは、








 

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