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あとがき


 自分の小学生のころを振り返るとき、いつも一番最初に思い浮かべるものは、何かが腐ったにおいでした。
 食べきれずに机の中に入れておいたまま、翌日腐ってしまった蜜柑のにおいですとか、いつの間にか飼育ケースから脱走した青虫のつぶれた死骸ですとか、おもにそういったものばかりが浮き彫りになって、私の小学生時代というものは形成されているので、熟れた甘いものと腐ったものがいっしょくたになって恨めしいものに変わってしまうのは、当然の結果なのかもしれません。

 しゃべりたくないという思いが、このごろますます強まっています。
 たぶん最近、コミュニケーション能力コミュニケーション能力と耳の両側からしきりに連呼されているためだと思われますが、こうして一度しゃべりたくないなぁという自覚をしてしまいますと、自分はいかに小学生のころから変わっていないのかということを痛感させられます。
 と同時に、言葉といううそ≠しゃべる恨めしい行為の上に、甘いキンモクセイのにおいを重ねてしまうのもまた、これは当然の結果だったのかもしれません。

 おいて行かれる側のもごもごした気持ちが、背すじをせり上がって来ることがよくあります。
 隣に並んでいっしょに文字を書き連ねていた友だちが、ある日突然別の友だちと明るく美しく健やかにしゃべるようになったときには、哀しいのか悔しいのかよくわからない気持ちになって、最後にはこんなじゃいけないから笑顔で見送ってあげなくっちゃ、という一番うそに近い腐った気持ちに落ちつきました。
 こんなふうにして、自分はいつまでたってもしゃべらない#Lにもしゃべる<Lンモクセイにもなれないまま、ただの中途半端なしっぽのまんまで、ぼんやーりと厚紙の橋の上に立っています。
 結局激しく叫ぶこともさめざめと泣くこともできないので、お話を書いてみてもやっぱりこんなぼんやりとしたものにしかなりませんでした。
 それでも一応気が済んでいるあたり、自分は別段困っていないのかもしれないなとも思うのですが、でも何というか、この微妙な立ち位置に一生いなければならないのかと思うと、早く紗弓のように未来の自分をシュレッダーで切り殺して、先に進んでしまえばいいのになぁ、と呆れるばかりです。呆れるばかりで結局何もしません。こうしてまたおきぼりを食ってぼんやりしているのだと思います。

 このノクターンは、小学生のときに出会った北朝鮮出身の男の子にささげます。





 

 

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