Scene3

食用アクアリウム


 その日、玄関の扉を開けると、侑記の家は明らかにカニの匂いに包まれていた。

 文面だけで語れば、まるで通常の家よりも若干豊かな家庭であるように思えて、少しだけほこらしさを覚えるかもしれない。
 しかし、実際はもちろんそんな単純な話で終わるはずもなく、彼の家はカニというよりかはむしろ、水族館の匂いに覆われた、と言った方が正しいような異臭に包まれていた。

「お、なんだ侑記帰ったのかー。せっかく親子水入らず、2人で分けちまおうと思ってたのにさー」

 侑記の姉はそう言うと、本当にいやそうな表情を作って眉をしかめた。
 親子水入らずって言ったって、自分も一応はこの家の息子なんだけどな、などと考えながらも、侑記は決してそのことについては触れようとしない。
 代わりに口から出てきたのは、今もっとも鼻孔を刺激している例の物体についての問いである。

「……どうしたの、このカニ」
「お父さん、今友達の柴田君と北海道旅行に行ってるでしょう。敬老の日に間に合うようにって、一足先にカニをうちとおじいちゃんの家に送ってくれたんですって。もちろんお父さんの分は取っておくけど、届いたら先に食べてていいよって言われたから、遠慮なくいただくことにしたの。ほら、今日くらいしか、家族で夜ご飯に集まる日ってないでしょう。知紘は」

 にこにこと少女のようにほがらかに笑いながら、母親が答える。
 侑記の両親は物心がついたころから、メールや電話などを含めて、基本的にいつも敬語で会話をしていた。
 母親は身体がそれほど強くなく、しかも生まれが医者の娘という典型的な箱入り娘であったせいか、仕事から金銭的な管理まで、すべて父親の方がまかなっているのだ。
 そのため、母親は「旦那に食べさせてもらっている」という意識が強いのだろう、あまり父親に対して大きな口を叩こうとはしない。

 こんな二人の間に生まれて、どうして姉はあんなにも口が悪くなってしまったのか、侑記には全くわからない。
 姉の名前はチヒロというものの、そもそも当てた漢字がよくなかったとしか言いようがないが、初めて彼女の名前を目にした者は、たいていが彼女のことを「トモヒロくん」と呼ぶ。
 そして姉の心底いやそうにしかめられた、しかしそれでも紛れもなく女としか言いようのない顔を見るなり、あわてて頭を下げてごめんねごめんねと謝るのだ。

 しかし、そんなことをしてももう遅い。彼女は一度でも自分のことを「トモヒロ」と呼んだ者とは、一生口をきかないような人間である。
 それほどまでに自分勝手で、気が短くて、飽きっぽい性格の姉なのだ。
 正直、それでもまともな友人が周りにいること自体が、侑記にはとうてい信じられない。

 ……人のことをいえた道理ではないが。

 ともかく、今は何がともあれカニである。
 四隅にどかしきれなかったティッシュ箱やらお菓子の袋やら新聞紙やら、が乱雑している食卓の真ん中に(母親は片づけという作業がひどく苦手である)、大きな木製の鍋敷きが置かれていて、その上には普段めったに使わないような、戸棚の一番奥にひっそりと寝静まっていたはずの大皿が、無理矢理たたき起こされて居心地が悪そうに座っていた。
 そして、その上には母親の手によって見事に分解された、カニを構成するありとあらゆる部品たち、が、どこがどの部分だとかの分類分けもされず、ただただうずたかく積み上げられている。

 さすがは北海道と言うべきか、そのカニは未だかつて見たことがないほど鮮やかな赤さをしていた。おまけに、未だかつて見たことがないほど立派な棘をも持っていた。
 それを見た瞬間、侑記の中の腹の虫は迷うようにきゅうと変な声を上げた。
 果たしてカニという生き物には、その棘と格闘してまで食うべき価値があるのか、真剣に悩まされてしまったからである。

 しかし、きれいな薔薇には棘があるという法則を引用するならば、この北海道からはるばる送られてきたカニもまた、通常のカニと比べて格段に旨いなんてことがあったりもするのだろうか。
 だが、つい最近カニを食ったのはおよそ一年ほど前のことであり、すでに通常のカニの味など忘れきっている舌は、果たしてこのカニの価値を正当に見極めることが可能なのだろうか、いや無理だろう。
 人間誰しもカニを食えばそれなりに感動を覚えるわけで、このカニが特別であるという証拠はどこにも残せない。

 というかそもそも、よりきれいな薔薇には棘があると言ったところで、だいいち薔薇にきれいもきれいじゃないもあるか。
 色や花びらの美しさなんて人間の勝手な好みの問題だろう。
 薔薇はほかの花と比べて花弁の数が多いからすごいのか。
 でもあのぐるぐると内側に向かって縮こまっていくようなあの咲き方は果たして本当に美しいと断言してしまってよいのか。
 あのおずおずと顔を上げるような仕草は、下手をすれば、まるで。

「――」

 と、考えかけて侑記は唐突に思考をやめる。手元を見つめずにいじくっていたカニが、彼の指先を傷つけたからだ。
 本当に痛い時というものは意外と声なんて出ないもので、よくサスペンスドラマでは好き放題なことを叫んでいるが、本当に心臓を撃たれたとき、人間はあんなにぎゃあぎゃあ叫ぶものなのだろうか。

 まぁそんなことは良い、今は何がともあれカニである。
 通常の家ではカニを食べると黙りこむというが、彼の家ではそれがまるっきり逆である。
 というのは、もっぱら姉がぺちゃくちゃとまぁ飽きもせずよくしゃべっているからであって、それでも皿の上に小分けにしたカニはうまい具合に減っているというのだから、言いようもなく不思議でかつ不気味である。

「でさぁ、今、学校で自閉症の子どもについて習ってるわけなんだけど」

 姉の話はまだまだ続いている。
 おそらく家庭科の授業中に習ったことを、片端から並べ連ねて遊んでいるのだろうが、それにしてもカニの味を言葉で説明するのはむずかしい。
 どこがどう旨いのかと聞かれれば、味のほとんどは醤油なのであって、それなら醤油を舐めていれば良いだろうと言われれば、そうなのだけれどそうではないのだ、としか言いようがなくなってくる。

「思い返してみれば近所にさ、ちょっと手の振り方がおかしい子いたじゃん。星野さんだっけ? あの三丁目の角のお家の」

 あるいは、この舌先で裂けるような食感が良いのだと言えば、それならカニカマボコで代用すれば良いではないか、と言われてまたしても困ってしまう。
 そもそも、カニカマボコと本物のカニの味の違いを形容するのもむずかしい。
 食感も味も少しずつ似ているような、その反面まったく似ていないような気もしてくる。

「ああいうふうにね、別れ際に手のひらを内側に向けて振るのって、自閉症の子がやる癖みたいなもんらしいよ。なんか、ああすることによって、相手じゃなく自分にバイバイしちゃってるんだって」

 違う違うと駄々をこねている間に、カニの風味についての考察は幕を閉じてしまった。
 このような感覚は、二年前に長崎への旅行に出かけたとき、フグの刺身を食べさせられて覚えた感動と幾分か似ている。
 旨いものは旨いのだが、それをどう表現したら良いのかわからない旨さなのである。だってお世辞にも決して濃い味とは言えない。

「ちょっと、侑記聞いてる? お姉さんが話してること、今のうちに覚えとくと将来苦労しないよ?」

 自閉症の子どもを嘲笑うための話なんて、覚えていたって仕方がない。
 そう返そうとしたが面倒くさいので、「聞いてる聞いてる」と投げやりな反応だけを残してその場をやり過ごすことにした。

 奈々は良いにおいのするカニの殻を狙って、テーブルの下からしきりに前足を伸ばしている。
 母親はいつの間にか台所に立っていて、鼻歌を歌いながら何故か三人前のスパゲッティをゆで始めていた。
 カニの後にクリームスパゲッティを食べれば、胃の中でカニクリームスパゲッティが出来上がるとでも言わんばかりの顔である。
 いつもに増して適当にもほどがある。

「侑記、覚えてる? こうしてスパゲッティを入れた後にはね、忘れずに塩を入れるのよ」

 塩を入れたところで麺に味がつくとはとうてい思えなかったが、得意げな母親の顔に釘をさすのも何なので、侑記は黙ってうなずいていた。

 奈々の長い縞模様のしっぽが、視界をこえた水面下でゆるやかに泳ぐ。








 

 

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