Scene9

Wing notes-9


 あちこちに飾られたボート型のオブジェの、カラフルな旗がひらひらとはためく。
 海辺から入る日の光が、彼女の顔半分にだけ当たっている。
 優しい大地の色を帯びた瞳が、ゆっくりとしたリズムで言葉を紡いだ。

「四つ葉のクローバー、いっしょにさがしてくれてありがとう。さっきまでのわたしの姿は、見習い天使としての仮の姿だったから、コウタくんがいっしょにクローバーを探してくれたおかげで、こうしてもとの姿に戻れたんだよ。本当にありがとう」

 ぺこり、と頭を下げたことで、首もとのマフラーが右に左にとゆらゆら揺れる。
 顔を持ち上げてほほえんだ彼女は、一呼吸を置いたあとさらに言葉を続けた。

「だいすきな子がいたんだ」

 彼女は語り出す。……あのころとなにひとつ変わらない、澄み切った秋晴れのような声で。

「転校しちゃう前にね、出会ったの。春の小川の下流みたいに、薄い水色の髪をした男の子。いっつも眉間にしわをよせてるけど、捨てられた子猫の額をやさしい顔をしてなでてたこと、わたし、知ってたよ。ちゃんと知ってたんだ」

 柔らかそうなうぐいす色の髪が一筋、耳のすきまからこぼれて、白くてまるい頬がちらちらとのぞく。
 ほんのりとわずかに、若葉のにおいが薫る。

「でも、おうちの事情で急に学校をかえることになっちゃって。ふたりっきりになることなんてできなかったから、ゆっくりお別れの言葉を伝えることもできないまま、わたしは遠い場所に引っ越してしまった。そして、遠く離れたその場所で、今までずっともっていた病気を悪くしてしまって、きみたちと同じ世界にはいられなくなったの」

 彼女の背中から生えている、白くてほわほわとした天使の羽が、稲穂のように優雅にそよいだ。
 さきほどまでは透明に透き通っていたそれが、今では昼間の月のような純白を帯びている。
 でもね、と彼女は前置きを添えた。

「わたしはあのとき、きみにきもちを伝えることができなかったけど、でもね、コウタくん。……いまのきみなら、きっとだいじょうぶ」

 彼女の後ろで、赤く燃えあがる太陽の色がにじんだ。
 その色に重ね合わせたあのひとが、笑った顔、悲しんだ顔、怒った顔、こどものようにはしゃいだ顔。
 そのすべてを、おそろしく澄んだ映像として思い描くことができる自分自身に、コウタは改めておどろいてしまう。
 おさえつけておさえつけて、心の内側にずっと封じこめて来た感情は、いつの間にかこんなにも大きく膨らんでしまっていたのだ。

「ねぇ、コウタくん。ひょっとするときみは、愛するっていうことがどういうことなのか、よくわからないのかもしれない。それとも、なんとなく心のどこかでわかってるけど、こわくて逃げだしてしまったのかもしれないね。自分には人よりもいいところが少ないから、こんな自分がいっしょにいたら、相手の人にがっかりされちゃうような気がして、それがこわくて愛するってことから遠ざかっているのかも。でもね」

 背中の下でそっと両手を組み、彼女はにっこりとほほえんだ。

「たとえ人よりすこし不器用だったとしても、臆病だったとしても、うそつきだったとしても。どんなにちいさくても明るい光がたしかにあるんだよ。だから、足りないものや少ないものばかりを見るんじゃなくて、そのちっちゃな光の新芽のことを、大切に大切に育ててみて。その光に気がついてくれる人が、きっといつかコウタくんのことを見つけだしてくれるから」

 そうつぶやいたぱむという名の少女が、組んでいた後ろ手からそっと取り出した何かを、コウタの手の上にそっとのせる。



 ……薄桃色の花の輪。
 それは今朝、ショーウィンドゥのガラスごしに見つけた、“あのひと”に似合いそうなネックレスと、とてもとてもよく似通っていた。






 

 

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