「……あ、いたいた! おーいっ、みんなっ!」
ちょうどそのとき、仲間たちの中で最も遅れていた、最後の偵察員が帰ってきた。
それまでは休みなく訓練をしていた仲間たちも、疲れきった仲間を励ますために、すぐさま彼の元へと駆け寄ってゆく。
「遅かったな。何か重大なことがわかったのか?」
仲間のうちの一人がそう尋ねると、偵察員は頭のターバンを剥ぎとりながら、激しい吐息の狭間にやっとこさ答えた。
「ああ、この経済難の元凶がわかったぞ! みんな、この記事を見てくれ!」
息を切らせてそう言った男は、後ろ手に隠していた新聞記事を、バサリ、と切り株の上にたたきつける。
広げられた新聞紙の一面、そのしわくちゃの藁半紙の上の写真を見て、ルコは思わず己の目を疑ってしまった。
「え……? ユ、ユフ!?」
「んあ? ……ってルコ、どうしたんだ? おまえ、まさかこの女のこと知ってるのか!?」
のうてんきに背後を振り返ったルークは、ランプに照らされた彼女の顔つきを見て、慌てたように詰め寄った。
ふらふらと後ろへあとずさり、ルコは信じられないといった様子で首を振る。
「なんで……なんでユフがこんなとこに載ってるんだよ!?」
「知らないのか? 彼女は城主の息子と婚約をしたそうだ」
「婚、約……?」
消え入りそうな声で、ルコがつぶやく。
その現実離れした言葉が上手に飲みこめず、ルコは何度も何度も写真の少女を見返してしまった。
「だって……だってユフは、あのとき無理やりヴォイツァに連れて行かれたはずなんだ」
「そうとも限らねぇぞ? 写真からすると、なんだかすげぇ仲良いみたいだし……お互いに合意の上での婚約、ってセンもあるんじゃないか?」
「で、も……でもっ!」
白黒写真の中のユフは、豪華なドレスを身にまといながら、城主の息子とともに楽しそうに笑いあっている。
その、以前とは別人のように明るい笑顔が、ルコをますます混乱させた。
「でも、あのときユフは泣いてたんだ。今までありがとうって、ごめんねって……!」
「そうなのか? うーん……でも、少なくともその子はずっとルコの家にいたわけだから、大事な家族と離れなくちゃならないってときは……やっぱり寂しくなって、涙を流すのはふつうなんじゃないの?」
――そうだ、確かに彼女は。
その言葉を聞いた瞬間、ルコは呆然としたまま凍りついた。
――去り際のあのとき、一度たりとも「助けて」とは言わなかった。
当然のことではあるが、ヴォイツァの息子と婚約をすることができれば、以前よりも裕福な暮らしが約束される。
現に、高価な衣装に身を包み、上品な笑顔を浮かべているユフは、誰よりも幸福な少女であるように見えた。
一度も口には出さなかったものの、もしかするとユフは、そんな華やかな生活を、心のどこかで望んでいたのではないだろうか。
その証拠とも言うべき新聞の見出しが、ルコの網膜を容赦なく貫く。
――財政難の原因は、婚約者ユフによる税金の浪費。
「ユフは……そんなやつじゃなかったんだ。私といっしょに暮らしていたときは、少なくともそんなふうに金を無駄使いするような女の子じゃなかった」
「けど……。人間、どんな些細なことがキッカケで、突然性格が変わるともわからねぇだろ?」
確かにそうだ、と思い当たったルコは、何も返すことができずに唇を噛んだ。
……現に話をしているルコ自身が、その顕著な一例であると気がついてしまったためだ。
かつては暴れん坊の妹をなだめ、喧嘩を仲裁して回っていたような平和主義者が、今や妹のために剣を振るう、荒れくれ者へと変わってしまったのだから。
――それと同じように……。
がっくりと肩を落としたルコは、ぼんやりと目を見開いたままふと考える。
――かつて見たことがないような宝石を前にし、しかも相手が何でも言うことを聞いてくれる、島内随一の大金持ちであったとしたら。
――たとえユフであっても、ほしいものをねだるようになるかもしれないじゃないか……!
「……」
明らかに狼狽しているルコを気遣ったのか、カムイがなだめるような声とともに肩をたたく。
「……まだ、彼女が直接の原因であると決まったわけではあるまい。しかし、いずれにせよ直接会って、彼女の真意を確かめる必要があるだろう」
「……うん」
「そうと決まれば、我らが向かう道は一つだ。必ずしや彼女を捜しだし、その意見とともにヴォイツァの居場所を突き止める」
力強く宣言したカムイの様子を見て、仲間たちはわぁっと感極まったような声を上げた。
「……と、いうことは、カムイさん!」
「もしかして、いよいよおれたちの出番だということですか!?」
「ああ。……目的がわかった以上、これ以上計画を先延ばしにしているわけにもいかぬ。今週中にでも出陣をしようぞ」
「おおおっ!」
長らく封じこめられていた男たちは、腰の剣を抜きとると、歓喜の声とともにそれを投げ打った。
無数の剣は、美しい円型を描いてくるくると舞い上がり、月明かりを跳ね返して燦然と輝く。
それらをきちんと受け止めた一行は、今度は待ちきれないと言わんばかりに、己の武器をうずうずと持て余し始めた。
そんな彼らを見かねたのか、ルークはやれやれと首を振りつつ、一歩前へと進みでる。
「おっしゃ! そうと決まれば出発の宴だ! そこのヒマそうな野郎ども、薪と酒でも持って来い!」
「おいおいルーク、てめぇはまーた飲み過ぎて、ぐでんぐでんに酔っぱらうんじゃねぇだろうな!」
「んなヘマはしねぇっつうの! ……おら、ルコ! おまえもちょっくら元気出せ!」
「え?」
仲間たちが次々と立ち去ってゆく中、突然ルークに名前を呼び止められて、ルコは驚いたように瞳を瞬いた。
どうやら、宴会を開こうと言いだしたのは、落ちこんでいるルコのための気遣いであったようだ。
そのわりに、準備のすべてを仲間たちに押しつけて、自分はどっかりと隣に座ってくるあたりは、さすが副リーダーと言うべきか、サボり魔というべきか、なんというか。
「なぁ、頼むからリーダーを信じてやってくれよ。あの人ならいくらなんでも、ユフちゃん……とかいったっけ? を、殺すなんてことはゼッタイ言わないだろうし、これでホントのことがわかるんだったら、そりゃあそれで嬉しいことじゃんか。な?」
やることなすことはいつでもめちゃくちゃだが、真剣にのぞき込んでくる赤色の瞳は、何にも代えがたいあたたかさを宿している。
ルークの不器用なやさしさを感じて、ルコはようやくほのかな笑みを浮かべた。
「……うん、そうだな。ありがとう、ルーク」
「いやぁ、それほどだけどそれほどでも……ってアレ? おおっとぉ!? なんとびっくりこんなところに、偶然にもグスレがぽんっと置いてあるではないかぁっ!」
大げさなリアクションを交えたルークは、草むらの中から大振りのグスレを取りだした。
途端、ルコの目がいつもの冷めた調子に激変する。
「……おい。ソレ、さっきおまえが自分で持ってきてたやつじゃないか。白々しいな……」
「よし、ルコ。てめぇでなんか弾いてみやがれ!」
しかも、あろうことかずいっとグスレを差しだされて、ルコの怒鳴り声はいっそう熱を帯びた。
「はぁ!? おまえが弾いて聴かせてくれるんじゃないのかよッ!」
「バカだなー。このおれ様にグスレなんて高度なものが扱えるわけないだろ?」
「一本弦でも弾けないとかどんだけ楽器ダメなんだよ、開き直んな! ……貸せっ!」
奪い取るようにグスレを膝に乗せ、弓を当てて一度引く。
先ほどルークによって乱暴に運ばれてきたためであろうか、少し弦がゆるんでいるようだ。
きりきりと小さなねじを巻き、軽くはじく。多少のずれはあるものの、あと少しだけ締めてやれば十分であろう。
和音の調和を確かめるためにも、慣れ親しんだ“あの曲”を演奏してみようか。
そう思って軽く指先を上下に揺する。思いだすのは懐かしい緑色の丘、旅芸人を名乗る髭面の男、麦わら帽子の薫り、青空の――
「……あれ?」
その瞬間、心地よく凪いでいた風がやみ、ぴたり、と弓の動きが静止した。
突然、頭の中に入っていたはずの旋律が、すっぽりとぬけ落ちていることに気がついたのだ。
ただならぬルコの様子を案じたのか、離れたところに座っていたカムイが声をかけてくる。
「どうしたのだ?」
「あ、うん……。いつも音合わせのときは必ず演奏する、大切な曲があったんだけど、おかしいな……ちょっと前までは覚えてたはずなのに、いつの間にか忘れちゃってたみたいだ」
その後もルコは、押さえる弦の位置をずらしたり、弓糸をならしたりなどしてみたが、なかなかしっくりと来る音に出会うことができないようだ。
そっと隣に腰を下ろしたカムイが、和らいだ表情とともに提案する。
「それでは、楽器の代わりに歌を歌ってみるのはどうであろうか。歌詞を口ずさめば、それに併せて旋律に思いだすことが出来るかもしれぬ」
「そう、なのかな? ……うん、それじゃあ、少しだけやってみる」
グスレの背を大木の幹に預け、ルコは薄く唇を開きながら、迷うように音を探してゆく。
ややあって、ようやく歌いはじめの音を見つけだすと、ルコはのびやかで丸みのある声を使って、歌詞の一節を朗々と歌いあげた。
「風はやがて歪み 星の海は 涙をこぼす
舟つなぐ碇は とき放たれるでしょう」
すると、食い入るようにこちらを見つめていたルークが、あたたかなまなざしを向けていたカムイが、そうして白いのどを震わせていたルコの三人が。
……まるで逆さまの重力に吹い寄せられるようにして、果てしない紺青の天幕を仰ぎ見る。
――思い出のかけらのように瞬く星屑が、涙のごとく頭上を滑って果てた。