EpisodeXI-2

鬨の歌声


「ずいぶんと勿体のないことを言うんですねー、船長は」

 その瞬間、テトの言葉を遮るように腕を伸ばし、さわやかな笑顔を浮かべたカイトが、一歩前へと進み出た。

「せっかく、今が大儲けのチャンスだっていうのに」
「……何だと?」

 カイトの一言に、ざわざわ、と集まっていた人々が一斉にどよめく。
 海賊という職業に就いている関係上、彼らは総じて、儲けという言葉には人一倍敏感な生き物なのだ。
 テトがちらりとカイトを見上げると、彼は一瞬だけテトの顔を見下ろした後に、「まかせて」と唇だけを動かして告げた。
 ……その、策略家ならではの腹黒い笑い方に、テトは思わずごくりと唾を飲みこむ。

「それは一体どういうことなんだ、カイト」

 ややあって、さっそく人々からの質問を受けとると、カイトは先ほどの表情を一転し、のほほんと平和そうな笑みを浮かべた。

「どういうって……新聞を見たでしょう。今、ヴォイツァ家の傾きが民衆たちの前で浮き彫りになったわけじゃないですか。しかもご丁寧なことに、それを倒そうとする革命軍まで表舞台に出て来ましたよね。このタイミングで顔を出したってことは、彼らは勢いでヴォイツァを倒せる、みたいな頭の弱い連中ではないってことです。ちゃんと時期を見極めて、それなりの新鋭部隊を形成してやってきたってわけですよ。これだけで、彼らには少なからず勝算があるんだっていう自信が見て取れます。……おまけに、リーダーの顔から察するに、ただの人間の集団とはいかないみたいだし」
「リーダーの顔?」

 問い返されたカイトは、そこで一瞬瞑目し、懐かしそうに口の端を持ち上げる。
 それを見たテトは、一人あんぐりと口を開けてしまった。……普段のボンヤリとした態度と比べれば、似ても似つかないくらい様になった仕草だ。

「昔の友達なんです。気持ち悪いくらいいいやつなんで、俺はあんまり好きじゃないですけど」

 うっかり漏らしてしまった本音を、軽い苦笑いによって自ら流したカイトは、そこでふっと陰りを帯びた瞳を揺らした。

「……おそらくこいつら全員、能力者の集団です」
「――! なん、だと……!?」

 ……その瞬間。
 恐怖のざわめきが、船体を伝って藍色の海に波紋を描いた。
 自身が能力者であるにも関わらず、まるでその響きを口にすること自体を、恐れているかのような苦悩の表情。
 ……それは、彼らがいかに、ヴォイツァに虐げられてきたかを表しているようで、テトにとってはひどく痛々しかった。
 事実、言葉を口にしたカイト自身も、苦しげに眉をひそめている。
 そんなカイトを下から睨み据え、船長は唸るような声をだした。

「……つまり、お前は何が言いたいのだ、カイト」
「簡単なことです。俺たちは能力者なわけだから、騒ぎに紛れて革命軍に便乗できるじゃないですか」
「――!? なっ!」

 驚愕のあまり、一歩後ろへ退いた一同の手前で、カイトはゆっくりと頭のバンダナを外した。
 そして、器用な手つきで舟の形に折りたたみ、続けざまに帆の部分を軽く引っぱる。
 ……すると、それはみるみるうちに上方に伸びてゆき、やがて剣の形へと成り代わっていった。
 テトは思う。……おそらく、あれは彼がミクという少女のためだけに、自ら編みだした遊芸なのだ。

「『あなたたちの勇気ある行動に心を動かされましたー』とか、お涙頂戴なことをホイホイ言ってのければ、きっと勝手に都合のいい解釈をして迎え入れてくれますよ、そういう男ですし。……で、俺たちはいつも通りの調子でヴォイツァ家を襲撃しながら、どさくさに紛れて金品ごとズラかればいいんです。そもそも、革命軍の目的は略奪ではありません。俺たちがしてることになんて、たぶん大した関心を払わないと思いますよ」
「しかし……」
「俺たちは」

 なおも上がりかけた抗議をやんわりと遮り、カイトが穏やかにほほ笑んだ。

「ぶつけようのない怒りを、これでもかってくらいぶつけてきましたよね。口をきいたこともない老人や、見たこともない子供や、声も知らない妊婦に。……けど、それらは全部、結局のところただの代用品だったわけじゃないですか。本当に恨みがましくて、吐き気がするくらいうざったくて、グシャグシャに斬り刻んでみたかった相手って、結局のところ、俺たちが今まで目を瞑って来た、その先に居たはずでしょう?」
「!」

 にっこりと人の良い笑みを浮かべたカイトは、次いで船首の先にある故郷の島へと目を細めた。

「――一度くらい、俺たちも見込みのない大暴れってやつをしてみませんか?」
「……」

 彼の声が余韻を残して消えた後、船内はしん、と沈黙の海に沈みこんだ。
 ちゃぷちゃぷと押し寄せる波の音と、自らの心臓の鼓動のみが、耳の奥をけたたましく騒ぎ立てる。
 テトは、かすかに触れていたカイトの手を、思いだしたようにぎゅっと握りしめた。
 汗ばんだ指先が震えていることに気がついたのか、カイトがそっとそれを握り返してくれる。
 どうしてそんなに落ち着いていられるのだろうか、まっすぐに海を見つめるカイトの瞳は、相変わらずよどみなく澄んでいた。

「……。はっ!」

 そんな二人を代わる代わるに見つめていた船長が、ややあって降参したように吹きだした。

「くくっ……とんだ男前になっちまったじゃねぇか、カイト。お前がそんな目をするのは久しぶりに見たよ。……ふぅん、そうかぃ。ミクちゃんを失ってから、ずっと死んだサカナみてぇな目をしてたお前がねぇ……」

 顎の下に手を添えて、にやにやとこちらを見つめてくる船長に、カイトはむっと眉を跳ね上げてみせる。
 そんな彼の反応がますます気に入ったのか、船長はガハハと大声をあげて笑った。

「よしッ! そんだけ言うなら戻ってみっか! ヴォイツァの金を奪い取ったら、皆ウィスキーに変えて海に流しちまおうぜ!」
「かっはっは! そりゃあいい! 海がブドウ酒色に染まるだろうよ!」

 威勢の良い船長の声に釣られて、隣に立っていた操縦士が銅鑼声をあげる。
 すると、盛況な歓声は瞬く間に伝染をして、辺りにはいつもの賑やかな笑顔が満ちあふれていった。
 突然の出来事にあっけに取られてしまい、ぽかんと固まっていたテトは、ふと、先ほどまで触れていた手のひらのぬくもりが、いつの間にか消えていることに気がつく。
 慌てて振り返った視線の先では、すでにカイトが背を向けており、今まさに部屋の中から出ていこうとしている最中であった。
 テトは怪我の痛みも何もかも忘れて、夢中でその背を追いかけてゆく。

「ま! まてってばカイト! ったく、なんでおまえはもー、よりにもよって一番盛り上がってる輪の中に参加しないのさ!」

 オープンデッキの入り口で、やっとこさ追いついたテトは、きゃんきゃんと子犬のような声で吠えたてた。
 すると、眠たげな瞳を瞬いて、カイトがゆっくりとこちらを振り返る。

「だって、なんかぎゃあぎゃあ騒ぐのめんどくさいんだもん。……みんないいよね、精神年齢が若くて」
「……前から思ってたけど、カイトって見た目抜きにしたら、ただの寂れたおっさんだよね」
「その言い方はひどい。せめて大人っぽいお兄さんとか」
「ありがとう、カイト」
「ん?」

 首を傾げたカイトの前で、テトはスッ、と己の右手を差しだした。

「おまえにしちゃ、ナイスすぎるフォローだった。ホントありがたかった。さんきう」
「……」

 すると、カイトはなぜだか握手には応じず、代わりに内ポケットの中へと手を突っこむと、そのまま一枚の新聞記事を取りだした。

「――テト」
「あい?」
「このユフって子が、テトがずっと助けたがってたお姉さん?」

 ……それは、テトが眠っている間に届いたらしい、数日前の新聞記事であった。

「えっ、うそ! ……わぁっ! ホントだ! ユフだユフだ――っ!」

 こちらの新聞も先ほどと同様、走り書きの文字がびっしりと一面を多い尽くしている。
 だが、その文字はヴォイツァ家に対する怒りのためか、先ほどよりもいっそう読みにくく乱雑であった。
 しかし、そんなことはもはやどうでもよかった。
 華やかなドレスを身にまとい、街の中を闊歩する写真の中のユフは、いつになく楽しそうにはしゃいでいて、それが自然とテトの笑みをも誘う。
 テトはたまらずカイトの手から、新聞記事を奪いとると、それをぎゅっと腕の中に抱きしめた。

「うん、そう! 大切な姉ちゃんなんだ。めっっちゃくちゃ会いたい!」
「!」

 カイトは一瞬驚いたように目を見開いたものの、やがていつになくうれしそうな顔でふわりとほほ笑んだ。

「そっか……」

 一言ぽつりとこぼした後、どこかしみじみと写真を眺めるカイトを見て、テトはあえておどけたように胸をそらす。

「へっへへん。美人だろー」
「まぁ、確かに美人だけど、俺的にはミクの方が可愛いし」
「なんだと、このシスコンめ」
「シスコンにシスコンって言われても痛くも痒くもないし」

 ようやく、カイトが声を上げてくすくすと笑いだした。
 人が笑うとわけもなく安心するのは、昔から変わらないテトの性分だった。
 だから、たとえユフがヴォイツァの人間になろうがならまいが、彼女自身が幸せであるならば、それはテトにとって充分すぎるほどの幸福なのである。
 テトはふふん、と満足げに鼻を鳴らした。

「……」

 すると、そんな彼女の様子に気がついたカイトが、ふっと思いだしたように兄らしい顔をした。

「……お姉さんたちを助けに行くのはいいけど、またけがしないように気をつけるんだよ」

 そうして、ぽんぽんと軽く頭を撫でられる。まるで自然とそうせざるを得なかったかのように、愛情に満ちたやさしい手つきだった。
 おそらく、ミクという名の(カイトいわく)美しい少女の頭を、何度もこのように撫でてやっていたのだろう。
 そう思うと、引き裂かれた二人の仲が身に迫って、鼻の奥がツンと痛んだ。
 テトは弓型の瞳を細めると、じっとカイトを見つめながら口を開く。

「……なんか、やっと最初のころに戻った気がする」
「最初? 何が?」

 頭から手を離したカイトは、言うまでもなくきょとんとしている。
 テトは踵を弾ませて背伸びをすると、にししと歯を見せて愉快に笑った。

「へぇ、気づいてないんだ? 今日のカイト、めちゃくちゃ楽しそうに笑ってるよ。僕がこの船に来てから、なんだかずっとつらそうだったけど、今日はそんなことないみたいだね。何かあったの?」
「! な……っ」

 途端、色の白いカイトの頬が、恥ずかしさのためか真っ赤に染まってしまった。

「……おんや?」

 予想だにしていなかったカイトの反応に、今度はテトの方が驚いてしまう。
 思わずまじまじとその顔を見上げていると、カイトは腕で顔を隠しながら、あわあわと船首の傍まで後退してしまった。
 当然ながら、逃げられれば追うのがテトのモットーである。
 難なく彼の元まで追いついたテトは、カイトの服の裾をしつこく引っ張り始めた。

「おーいカイトー。どしたどした? にしししっ!」
「な……なんでもない……っ」
「なんでもなくないやつがなんでもないってゆーんだぞー。おりゃー」
「ちょ、痛い! ……ってか、テト元気だね……。怪我してたんじゃなかったっけ?」
「自分で治したんだ、自業自得だぜ、お兄ちゃん」
「その呼び方やめてってば……なんか寒気がすごいんだけど」
「お前、失礼な物言いが率直すぎんぞ」

 テトがあきれたように腰に手を当てると、困ったように目線を彷徨わせていたカイトが、ようやくこちらを向いてくれた。
 そこには、戦いの最中の冷たい表情も、感情を殺したような淡々とした色もない。
 へにゃりと眉を下げて笑う顔は、今までで一番情けがなくて、今までで一番、人間らしい表情だった。

「……やっぱり、俺はテトには敵わないや」
「へ?」
「今までごめん。……もう絶対に、俺は逃げたりなんてしないから」

 海風に髪をなびかせながら、カイトがやわらかに振り返る。

「いっしょに終わりを見に行こう、テト」
「――うん」

 差しだされた手のひらを握ると、それはふんわりとしたぬくもりをもっていて、テトの口許はついついほころんでしまう。

――すべての生き物を生みだした、始まりの場所こそが海なのだとすれば。

――きっとすべての終わりを見せてくれるのも、また海という存在なのだろう。

 たおやかな波色の青年を横目に、テトはふと、そんなことを想った。





 

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