しかし、あと三歩ほど歩けば箱の前に膝をつける――そんなことを考えた矢先である。
「そこのおにいさん」
「うわあっ」
突然、さっきまで閉じられていた植物の口が、かぱっと大きく開いたかと思うと、どんぐり大の目玉がぱっちりと開き、迷いなくこちらを見つめてきたのだ。
おかしな生き物に話しかけられた、という衝撃のためか、声の余韻はなかなか消え去らずに、コウタの耳奥をきんきんと打ち続ける。
叫んだ拍子にのけぞった姿勢を、コウタは必死の思いで立て直しながら答えた。
「ち、ちがう。おれはあんたがどんな種類の生き物なのか観察していただけだ! 決して拾おうとか考えたわけじゃ……!」
左右の手のひらをぶんぶんと振りながら、きびすを返そうとしたコウタを無視して、鉢植えの生き物はなおもキャッキャとはしゃぎ続けている。
「おにいさん、わたしといっしょにさがしてくれるのですね!」
「だからちがうって言っ……さがす?」
「はい、さがすのです。たいへん困ったことにこのわたしは、あるものをさがさねばならないのです」
困ったことにといいながらも、顔や口調はぜんぜん困っているように見えないところが、またもうひとつの困りどころなのであった。
気休め程度に聞き流しておけばいいだろう、と思いながら、コウタはふむふむと腕を組む。
隙あらば逃げだそうという魂胆だけは、心の隅でばっちりと待機済みだ。
「そうか。いったいなにをさがそうとしてるんだ」
「驚きますでしょうおにいさん。この町に生えているクローバーという植物は、ふつうであればまるで花のような形の、三つの葉っぱをもっています。しかし、心身を削って懸命な努力をつづければ、四つの葉をもつ幸運のクローバーを、見つけだすことができるのです」
「はぁ? 悪いけど、おれは知らないよ、そんなもの。まだ太陽はのぼったばかりなんだし、さっさと一人でさがして……」
そう言って身をひるがえしたとたん、背後からきこえためそめそという泣き声に、コウタはぎょっとしたように立ちすくんでしまった。
「おにいさん、わたしといっしょに、さがしてくれないのですか?」
さびついたロボットのような仕草で、おそるおそる後ろをふり返ってみれば、視界いっぱいをうめつくしたのは、こぼれそうなほど大きなヘイゼルの瞳。
くらりと視界が斜めに傾いたようだった。
……だめなのだ。そういう哀しそうな瞳にだけは、コウタは人一倍弱いのだ。
「うわあああやめろ、そんなの卑怯だ! そういう、うるうるした瞳でおれのことを見つめるのはやめろ! やめろってば!」
「うるうるうるうるー」
「わああ、もういいっ! わかった、おれが悪かった! いっしょにさがすから! さがすからもうそれ以上、そういうふうに泣くのはやめてくれ!」
弱点をもろに突かれたコウタは、とうとう観念したようにその場にしゃがみこんでしまった。
久しぶりに大声を出したせいか、頭の中はかき氷を食べたかのようにずきずきと痛む。
眉間をおさえながらぐったりと顔をあげると、目の前の植物はぴょこんと嬉しそうに両手を上げていた。
「ほんとうですか、おにいさんっ」
その瞬間、さきほどまでのうるうるした瞳は、もうすっかり消えうせてしまっていたので、コウタが後悔の念にさいなまれたのは言うまでもない。
それでも、一度言いだしたことは取り消すことができないのだ。
コウタはカーキ色のジーンズをぱんぱんと払うと、つとめて冷静な声とともに立ちあがった。
「まったく、もう。しかたがないな。さっさとおわらせてしまえばいいんだろう。……ところで、あんたはいったい何者なんだ」
頭の周りでぐるぐると渦巻いていた、最大の疑問を口にだしてみると、緑色の妖精はぱっと顔を輝かせて、よく響く甲高い声ではきはきと答えた。
「ぱみゅですー!」
「ええ、ぱみゅ?」
何やら誰かの名前を噛んだみたいだな、とくすりと笑みを浮かべてみて、コウタは唐突に首をかしげる。
――誰かの名前?
自分の知り合いの中には、果たしてそんなおかしな名前の者がいただろうか。
なんだか喉の奥にアメ玉がひっかかったような、心臓の近くがちくりと痛んだような気もしたけれど、コウタはあえて気にしないようにして足を運んだ。
こうしてはいられない、さがしものというものは、日が落ちてしまうまえにおわらせてしまわなければならないものなのだ。
「それじゃ、まずはルークさんに話をきこう。あの人は町の探偵だから、たいていのことなら誰よりもよく知ってるんだ」
なかば自分に言い聞かせるような声でつぶやくと、コウタは誰もいない噴水広場をひっそりとあとにする。
ご機嫌顔のぱみゅは、ふっふーとひと声、実に見事な口笛をふいてみせた。